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スコット・スピージオ(Scott Edward Spiezio, 1972年9月21日 - )はメジャーリーグ選手(主に三塁手)。アメリカ・イリノイ州ジョリエット出身。右投両打。 ポジションは主にサード・ファーストで、他にセカンド・レフト・ライトとしてのプレー経験がある。2007年には、ピッチャーとして登板した。 ヤギのようなアゴヒゲと、左腕のタトゥーが特徴。父のエド・スピージオもカージナルスなどでプレーした元メジャーリーグ選手(三塁手)。 ==経歴== イリノイ大学アーバナ・シャンペーン校出身。、オークランド・アスレチックスからドラフト6巡目で指名され契約。9月14日にメジャーデビュー。三塁のほか二塁・一塁も守り、ユーティリティープレイヤーとして活躍。 にアナハイム・エンゼルスに移籍後は、内野のほかライト・レフトも守った。はキャリアハイの140安打、打率.285、出塁率.371を記録。同年のワールドシリーズでは、サンフランシスコ・ジャイアンツに2勝3敗と王手をかけられた第6戦の7回裏、0対5と敗色濃厚の場面で反撃のきっかけとなる3ランホームランを打った。8回裏にはトロイ・グロースが逆転タイムリーツーベースを打ち6対5で勝利。第7戦も勢いに乗って勝利し、エンゼルスのワールドシリーズ初制覇に貢献した。ポストシーズンは地区シリーズから合計16試合で19打点を挙げ、この1ポストシーズン19打点の記録は、のサンディー・アロマー・ジュニア(インディアンス)と並ぶ最多タイ記録である。 シーズン後、三塁手が手薄となっていたシアトル・マリナーズに移籍。 は開幕から正三塁手としてプレーするも、同じく前年オフに移籍してきたリッチ・オーリリア、この年で引退する主砲エドガー・マルティネスとともに打撃不振に陥り、シーズンが終わるまで復調することはなかった。結局、112試合に出場し、打率.215と低調な数字に終わった。 は、前年オフにリッチー・セクソンとエイドリアン・ベルトレの両大砲を獲得したことにより、出場機会が激減した。29試合の出場で打率.064に終わり、8月19日に解雇。 2月にカージナルスとマイナー契約を結び、春季キャンプで活躍。開幕ロースター入りを果たし、エンゼルス時代のチームメイトデビッド・エクスタインと再び同じチームでプレーすることとなった。代打や三塁手スコット・ローレンの控えなどで出場し、チームはプレーオフに進出。ニューヨーク・メッツとのリーグチャンピオンシップシリーズでは、第2戦で同点2点タイムリー三塁打、第3戦で先制2点タイムリー三塁打を打つなど計5打点を挙げ、4勝3敗でメッツを破った。デトロイト・タイガースとのワールドシリーズでは4打数ノーヒットに終わったものの、カージナルスが4勝1敗でタイガースを破り、自身2個目のチャンピオンリングを手にした。シーズン後、カージナルスと2年契約を結んだ。 6月15日のアスレチックス戦で、自身初の投手を経験。8回裏、3対14と大差で負けている場面で4番手として登板し、打者4人を内野ゴロ・四球・レフトファウルフライ・ライトフライで1イニングを無失点に抑えた。これにより、まだ守っていないポジションはキャッチャー・ショート・センターの3つとなった。 しかし2月27日、飲酒運転など6つの罪で逮捕状が出ていることが発覚しセントルイス・カージナルスから解雇された〔Cards cut ties with Spiezio Arrest warrant issued in California over December incident (The Official Site of The St. Louis Cardinals)〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「スコット・スピージオ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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