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スズキ・MotoGP : ミニ英和和英辞書
スズキ・MotoGP
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


スズキ・MotoGP : ウィキペディア日本語版
スズキ・MotoGP

スズキ・MotoGP ( Suzuki MotoGP ) は、ロードレース世界選手権MotoGPクラスに参戦しているスズキワークス・レーシングチームである。
2015年シーズンは「チームスズキ エクスター」〔スズキ MotoGPチーム名を「Team SUZUKI ECSTAR」に決定 (「エクスター」はスズキの純正オイルブランド)〕のチーム名で参戦した。

== 歴史 ==
スズキはにロードレース世界選手権500ccクラスにバリー・シーンジャック・フィンドレーをライダーに、RG500を駆ってワークスチームとして参戦を開始する。開幕戦でシーンが2位を獲得したのがその年のベストリザルトとなった。翌、アッセンでシーンがポール・トゥ・ウィンを遂げ、チームに初優勝をもたらした。この年シーンは2勝、シリーズ6位となった。
シーンは翌シーズンに5勝を挙げ、ワールドチャンピオンに輝いた。にも6勝を挙げ、2年連続でタイトルを獲得した。1977年にはシーンのチームメイトのスティーブ・パリッシュはシリーズ5位になった。
にはニューマシンのRGAを投入したが、シーンはヤマハケニー・ロバーツに破れシーズン2勝・シリーズ2位に終わった。チームメイトのウィル・ハルトグも同じく2勝を挙げ、シリーズ4位に入った。翌1979年もニューマシン・RGBを投入したが、ロバーツの連覇を阻むことは出来なかった。スズキ勢はバージニオ・フェラーリ、シーン、ハルトグがそれぞれシリーズ2位、3位、4位に入った。
にはランディ・マモラが新たにチームに加入した。ロバーツの3連覇を許してしまうが、マモラがシリーズ2位、マルコ・ルッキネリが3位に入った。ルッキネリは翌に、ニューマシンRG-Γ500を駆ってワールドチャンピオンを獲得する。
ホンダに移籍したルッキネリの代わりにフランコ・ウンチーニが加入する。彼はシーズン5勝を挙げワールドチャンピオンに輝く。ウンチーニは翌のアッセンTTで重傷を負ってしまい、タイトル防衛に失敗する。この年をもって、スズキはワークス活動を一時休止する。
3年の休止期間を経て、にスズキは限定的なワークスサポートを再開。マシンは完全新設計のV型4気筒エンジンを搭載したRGV-Γ500となった。スポット参戦の伊藤巧が雨の日本GPで3位表彰台を獲得、ケビン・シュワンツがスペインGPで4位に入賞するなどの成績を収め、翌には完全なワークスチームとして復活。シュワンツはシーズン2勝を挙げシリーズ8位、チームメイトのロブ・マッケルニアはシリーズ10位に入った。
にはシュワンツはシーズン6勝を挙げるもシリーズ4位、は5勝を挙げシリーズ2位、チームメイトのニール・マッケンジーはシリーズ4位に入った。にもシュワンツは5勝を挙げシリーズ3位を獲得。にはダグ・チャンドラーがチームメイトになり、シュワンツが1勝でシリーズ4位、チャンドラーが5位に入った。
、シュワンツはシーズン4勝を挙げ、遂に念願のワールドチャンピオンを獲得する。新たにチームメイトになったアレックス・バロスも1勝を挙げ、シリーズ6位に入った。
にはシュワンツは2勝を挙げシリーズ4位、バロスはシリーズ8位に入った。翌シーズンの序盤で、シュワンツはレーサーを引退する。もう一人のライダーダリル・ビーティーがシーズン2勝を挙げ、シリーズ2位に入る活躍を見せた。シュワンツの後継としてスコット・ラッセルがチームに加入した。
シーズン、ラッセルはシリーズ6位に入ったが、ビーティーは開幕前の重傷が影響してシリーズ18位に終わった。
にはアンソニー・ゴバートがビーティーのチームメイトになる。ビーティーはシリーズ11位、ゴバートは15位に終わった。ビーティーが一度5位に入ったのがチームの最高位だった。
は、青木宣篤藤原克昭という日本人ペアでシーズンを戦うはずであったが、藤原は開幕前のテストで重傷を負ってしまい、宣篤の1台体制となった。宣篤はシリーズ9位、最高位は4位だった。
、宣篤のチームメイトにケニー・ロバーツJr.が加入する。ロバーツJr.は1995年以来4年ぶりとなる勝利をチームにもたらし、シーズン4勝を挙げシリーズ2位を獲得した。宣篤はシリーズ13位に終わった。
翌、ロバーツJr.はシーズン4勝を挙げ、ワールドチャンピオンに輝く。宣篤はシリーズ10位だった。
にはセテ・ジベルナウがロバーツJr.のチームメイトになりRGV-Γ500を駆ることになった。ジベルナウは1勝を挙げシリーズ9位、ロバーツJr.は11位に終わった。
MotoGPクラスが始まったシーズン、ロバーツJr.とジベルナウは新しい4ストロークマシンのGSV-Rで戦うことになった。ロバーツJr.がブラジルGPで獲得した3位表彰台がチームの最高成績となり、ロバーツJr.はシリーズ9位、ジベルナウは16位に終わった。
翌は、ジョン・ホプキンスが新たにロバーツJr.のチームメイトとなる。ホプキンスがスペインGPで7位に入ったのが最高位で、ロバーツJr.はイタリアGPでのクラッシュで3戦を欠場するなどチームは大苦戦し、ホプキンスがシリーズ17位、ロバーツJr.が19位に沈んだ。
はライダーのラインナップに変更はなかったが、タイヤをミシュランからブリヂストンに変更した。ホプキンスがシリーズ16位、ロバーツJr.が18位と苦戦は続いた。
もライダー体制に変更はなかった。ロバーツJr.は雨のイギリスGPで2位表彰台を獲得したがシリーズ13位、ホプキンスは14位に終わった。
クリス・バーミューレンがホプキンスのチームメイトになった。ホプキンスはシリーズ10位、バーミューレンはオーストラリアGPで2位表彰台を獲得しシリーズ11位に入った。
はライダーのラインナップに変更は無く、新しい800cc仕様のGSV-Rでシーズンを戦うことになった。バーミューレンがチームにMotoGPクラス初優勝をもたらし、シリーズ6位に入った。ホプキンスも安定した走りで4回表彰台を獲得、シリーズ4位に入った。
ロリス・カピロッシがバーミューレンのチームメイトになり、バーミューレンが2度の3位表彰台でシリーズ8位に入り、カピロッシが1度の3位表彰台でシリーズ10位に入った。
、両ライダーとも1度も表彰台に立つことができず、カピロッシはシリーズ9位、バーミューレンは12位に終わった。
シーズンは、バーミューレンに代わり250ccクラスからステップアップしてきたアルバロ・バウティスタがカピロッシのチームメイトを務めた。この年からエンジンの使用数が1シーズン1人あたり6基に制限されたが、信頼性に問題を抱えたチームはシーズン途中に6基を使い切ってしまった。それ以降のレースはペナルティとしてピットレーンからのスタートが義務付けられるはずだったが、救済策としてスズキのみ9台の使用を認めるようにレギュレーション改定がなされた〔http://www.motorcyclenews.com/MCN/sport/sportresults/MotoGP/2010/December/dec1410-engine-issues-tarnished-suzuki-image/〕〔正確には「2008年シーズンと2009年シーズンにおこなわれたレース(ドライレースに限る)での合計勝利数が2勝に満たないマニュファクチャラーは9台の使用を認める」であり、当該条件を満たすのはスズキのみだった〕。バウティスタはシリーズ13位、カピロッシは16位に沈んだ。
、チームは活動規模を縮小し、バウティスタのみの1台体制で挑むことになる〔http://www1.suzuki.co.jp/motor/sports/race/101108_GP.pdf〕。だが序盤の欠場と後半のリタイア続きで思うような成績を残せずシリーズ13位にとどまり、また2回スポット参戦したジョン・ホプキンスも揮わなかった。
2011年11月18日、スズキは自社の厳しい経営環境を理由としてMotoGPへの参戦を一時休止することを発表。なお2014年の再参戦を目指すとした〔モトGP活動の一時休止について 〕。
2014年には2015年シーズンからの再参戦に向けての体制が発表され、チームマネージャーにダビデ・ブリビオ、開発ライダーにランディ・ド・プニエを擁し、2014年中に世界各国のサーキットでテストを行い、2015年より復帰するとしており〔スズキ、二輪車レースの最高峰ロードレース世界選手権(MotoGP)に2015年より参戦を発表 〕、9月末に正式にアレイシ・エスパルガロマーベリック・ビニャーレスをライダーとして起用しての2015年より復帰する事を発表した〔ロードレース世界選手権(Moto GP)への復帰について 〕。それに先立ち2014年11月9日のMotoGP最終戦では、新たに開発したGSX-RRでランディ・ド・プニエがワイルドカードで出場したがリタイアに終わった〔スズキGSX-RR、最終戦バレンシアでMotoGP復帰への一歩を踏み出す 〕。
シーズンよりマーベリック・ビニャーレスアレイシ・エスパルガロとの2台体制で復帰しフル参戦。エスパルガロが第7戦でポールポジションを獲得したが、最高順位は共に6位で、シーズン成績はエスパルガロ11位・ビニャーレス12位だった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「スズキ・MotoGP」の詳細全文を読む




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