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株式会社ぴえろ()は、日本のアニメ制作会社である。日本動画協会正会員。 == 概要・沿革 == 1977年4月、アニメーター・演出家の布川郁司が朋映・虫プロダクション・竜の子プロダクション(現・タツノコプロ)を経て、上梨満雄、ときたひろこらと共に演出家のグループとして発足。吉祥寺のマンションで活動を開始した。『みつばちマーヤの冒険』などを手がけた後、学習研究社からの依頼で、『ニルスのふしぎな旅』を制作するため1979年にアニメの制作スタジオとなり、株式会社に改組。「株式会社スタジオぴえろ」を設立して三鷹市にスタジオを構える。当初は『ニルスのふしぎな旅』を作るためだけに設立されたスタジオで、布川、上梨の他、竜の子プロダクションの演出スタッフであった経歴を持つ鳥海永行、案納正美、高橋資祐、押井守らが参加した。人脈的には同プロダクションの流れにあるスタジオである。また、演出家が集まって作られたため、演出家の力が強いことも当初の特徴の一つであった。制作にあたってもスケジュールに余裕をもって良質な作品を作る制作環境であったという。 『ニルスのふしぎな旅』以降もテレビシリーズを制作。設立当初は学習研究社からの発注される仕事が多かった。1984年5月、版権管理事業を行う組織として「株式会社ぴえろプロジェクト」を設立した。これは請負による制作だけでは十分な利益が得られなかったことによるものである。また本体と別会社にしたのは、当時のアニメーション業界では制作会社が作品に対して権利を持ち、商品化を行うことに対する偏見があったためであったという。 1981年から放送されたキティ・フィルム製作の『うる星やつら』のアニメーション制作を担い一世を風靡。1983年に始まる自社オリジナルシリーズの「ぴえろ魔法少女シリーズ」では制作会社から出資も行なう製作会社へと転換を図って、ぴえろのブランドを認知させた。1983年には世界初のオリジナルビデオアニメ(OVA)作品とも言われる『ダロス』を制作して、アニメ史に名を残した。テレビアニメでは『うる星やつら』以降、フジテレビ系列で放送された作品を多く手がけ、1987年の『きまぐれオレンジ☆ロード』に始まる同社の『週刊少年ジャンプ』原作作品のアニメ化路線は1992年の『幽☆遊☆白書』で視聴率的にも成功を収める結果となり、以後も数多く手掛けることとなった。 2002年、「株式会社スタジオぴえろ」と「株式会社ぴえろプロジェクト」の両社を合併し、社名を「株式会社ぴえろ」に変更。2004年から、制作ブランド名として「studioぴえろ」の名称を使用している。 2012年7月、長年に渡って代表取締役社長だった布川郁司が代表取締役会長に就任し、専務取締役だった本間道幸が代表取締役社長に就任した〔日本動画協会ホームページ 「2012年8月のニュース」より。〕。その後、布川は代表権の無い取締役最高顧問に就任した。 東京都の本社の他に福岡県にスタジオがあり、動画・仕上を行っている。 社名の由来について、幼少期に山王祭りで見たサーカス集団が印象に残っていたことから社名をぴえろにしたという〔2013年5月19日にマリーン5清水屋で開かれたトークイベントより。「NARUTO」手掛けた布川さん、古里イベント 酒田 2013年5月20日 山形新聞〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ぴえろ」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Pierrot (company) 」があります。 スポンサード リンク
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