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スタラ・チャルシヤ(マケドニア語:、アルバニア語:)は、マケドニア共和国の首都・スコピエにあるバザールであり、イスタンブル以外ではバルカン半島で最大である〔Balkan Travellers 〕。ヴァルダル川東岸に位置するこの市場は、12世紀以来、街の交易と商業の中心であった。オスマン帝国時代に急速に発展し、最も栄えた時代には30を超えるモスク、多数のキャラバンサライ、その他多くのトルコ式の建造物やモニュメントが立ち並んだ。現代のスコピエの商業的中心地は、川を挟んで反対側のツェンタルに移っている。スタラ・チャルシヤはイスラム建築が大半を占めているが、キリスト教の聖堂も存在している。今日ではチャイル自治体の領域に含まれ、その景観はマケドニアの国家的な遺産として保護されている。 == 歴史 == カレ要塞で見つかった考古学的遺物により、スコピエのバザールの一帯には紀元前4千年ごろから人類が居住していた可能性が考えられており、また歴史上の文献によれば紀元前6世紀ごろにこの地に人が居住を始めたとされている。この時の住民はパイオニア人(Paeonians)であったとみられる。 ビザンティン帝国の皇帝ユスティニアヌス1世は6世紀に丘の上にカレ要塞を建造した。この場所が後にバザールとなった。この一帯は12世紀には有力な交易拠点となった〔。 1392年、マケドニア地方はオスマン帝国に征服され、スコピエの地はトルコ語でユスキュプ()と呼ばれるようになった。オスマン帝国の統治下でスコピエのバザールは最盛期を迎え、重要な経済交流の拠点となった。 街はムスリムが多数派を占めるようになり、街の景観は大きく変容した。一帯には数多くのモスクやキャラバンサライ、ハマム、その他のイスラム建築が立ち並んだ。以前からあったキリスト教の聖堂の多くは接収されてモスクへと改修された。1555年の地震によって大規模に損壊したが、その後も街は復興・発展をとげた〔。 スタラ・チャルシヤのバザールは現在、スコピエのチャイル区の領域となっている。区の人口は2002年時点で64,773人であり、うちおよそ半分がアルバニア人、およそ4分の1がマケドニア人、7%がトルコ人であり、その他にロマやボシュニャク人などが住む〔Macedonian census data of 2002 〕。 バザールの歴史的建造物の一部は、現在は博物館として公開されている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「スタラ・チャルシヤ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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