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スタンウィックス砦包囲戦(スタンウィックスとりでほういせん、、当時はスカイラー砦とも呼ばれた)は、アメリカ独立戦争のサラトガ方面作戦初期、1777年8月2日 - 22日に起こった包囲戦である。モホーク川流域にあったスタンウィックス砦は当時大陸軍が対抗するイギリス軍と同盟インディアンに対する主要な防衛拠点だった。砦はピーター・ガンズヴォート大佐の指揮するニューヨークとマサチューセッツからの大陸軍が占めていた。これを包囲した軍勢はイギリス軍正規兵、ロイヤリスト、ヘッセン=ハーナウからの傭兵、およびインディアンで構成され、イギリス軍のバリー・セントリージャー准将とイロコイ族インディアンの指導者ジョセフ・ブラントが指揮していた。バリー・セントリージャーの遠征部隊は、ハドソン川流域の支配を目指したジョン・バーゴイン将軍のサラトガ方面作戦における別働隊だった。 包囲戦の初期の8月6日に、ニコラス・ハーキマーの指揮するニューヨーク民兵隊がオリスカニーの戦いでイギリス軍分遣隊に止められ、砦の包囲を破る試みが潰えた。この戦闘に砦の守備隊は関わらなかったが、幾らかの兵力が出撃して無防備に近かったインディアンとロイヤリストの宿営地を襲った。このことでセントリージャーに対する支援インディアンの士気が落ちた。大陸軍のベネディクト・アーノルド将軍が指揮する援軍が近付き、アーノルドがその勢力以上の部隊を持っていると包囲するイギリス軍に信じ込ませる巧妙な策略を使ったことで、砦の包囲は破れた。これに加えて、インディアンの戦士達は包囲戦に興味がなく、その所有物が無くなったことによる動揺もあって、インディアンの支援を失ったセントリージャーは包囲を諦めて撤退した。 セントリージャーが目指していたオールバニへの進軍ができなくなったことで、バーゴインの本隊は孤立し、後の1777年10月のサラトガの戦い後に降伏することに繋がっていった。セントリージャー隊は9月下旬にタイコンデロガ砦に到着したが、そのときは既にバーゴイン本隊を救援するには遅すぎた。 == 背景 == スタンウィックス砦はオナイダ運搬所と呼ばれる戦略的に重要な陸路搬送地点にあった。ハドソン川に注ぐモホーク川とオンタリオ湖に注ぐオナイダ湖の間、現在ではニューヨーク州ロームの位置である。イギリス軍がフレンチ・インディアン戦争の1758年に地域で唯一乾燥した立地に建設し、その後は荒廃するに任されていた。アメリカ独立戦争が1776年にニューヨークとケベック植民地の間にあるフロンティアにまで広がったとき、この場所は再び戦略的に重要な地点になった〔Nickerson (1967), p. 197〕。 イギリス本国の植民地担当大臣ジョージ・ジャーメインとジョン・バーゴイン将軍がハドソン川流域の支配を目指す作戦を立て、その中に国王ジョージ3世が「モホーク川への別働隊」と表現した遠征も含めていた〔Nickerson (1967), p. 90〕。1777年3月、ジャーメインは、バリー・セントリージャー中佐にその遠征隊の指揮を執らせる命令を出した。セントリージャーはフレンチ・インディアン戦争にも従軍したフロンティアの経験がある軍人だった〔Nickerson (1967), p. 92〕〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「スタンウィックス砦包囲戦」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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