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スタンウェル (Stanwell) は、イングランド南東部サリー州スペルソーン行政区(バラ)にある郊外の村。チャリング・クロスから西南西に15.7マイル(24.8km)の位置にあり、ロンドン・ヒースロー空港の南縁、すなわちヒリンドン・ロンドン特別区の南縁から半マイル(0.8km)のところにある。2001年の国勢調査の時点で、調査区 ''Stanwell North'' は人口7,301人、調査区 ''Stanwell South'' は人口4,766人であった。 == 歴史 == 地名の由来については、2つの説がある。ひとつは村にある聖アンの井戸 (St Anne's Well) に由来するというもので、より妥当に見えるもうひとつの説は "stone well" (「石の壁」の意)が転訛したとするものである。地名の綴り字の最初の方は、この村に隣接し、同様に「石」に地名が由来するとされるステインズと同じになっている。 スタンウェルは、1086年のドゥームズデイ・ブック(土地台帳)に ''Stanwelle'' として記録され、オセアの子、ウォルター (Walter, son of Othere) の所有地として、15ハイドの面積が記されている。そこには水車が4基あり、3ポンド10シリング(£3 10s 0d)とウナギ375匹分の価値と評価されており、以下、堰3基(ウナギ1000匹の価値)、犂 (plough)10本、草地(犂12本分の価値)、林地(豚12頭分の価値)があった。税額は14ポンドであった〔Surrey Domesday Book - リンク切れ〕。 1603年、ナイヴェット卿 (Lord Knyvett) にスタンウェルのマナー(荘園)が下賜された。ナイヴェット卿は、火薬陰謀事件の際にガイ・フォークスを捕縛した人物である。ナイヴェット卿はスタンウェルに無料の学校を作るよう遺言し、学校は1624年に創設された。この学校の建物は、今もハイ・ストリートに存在しているが、現在は高齢者のデイ・センターとして使用されている。スタンウェルにある聖メアリ教会は、12世紀に遡るもので、ナイヴェット卿夫妻の記念碑が残されている。この教会の建築には、ノルマン朝建築やゴシック建築の影響が認められる。1838年には、当時未知のバラの品種がスタンウェルの庭園で見つかり、「スタンウェル・パーペチュアル (Stanwell Perpetual)」(「永遠のスタンウェル」の意)と命名された。 1930年以降、スタンウェルは、ミドルセックス州のステインズ市街地区 (Staines Urban District)の一部となった。1965年には、1963年ロンドン自治法 (London Government Act 1963) によってミドルセックス州の大部分はグレーター・ロンドンに帰属することとなったが、ステインズ市街地区はサリー州に移管された。 第二次世界大戦後、住宅組合や公営住宅による大規模な住宅供給が進められたが、その大部分は空港で働く人々のためのものであった。 2004年、スタンウェルは全国的に開催されたイベント「Britain In Bloom」の都市コミュニティ部門で銅賞に入賞した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「スタンウェル」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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