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スタン "プラウボーイ" フレイジャー(Stan "Plowboy" Frazier、本名:Stanley Cooper Frazier、1937年8月16日 - 1992年7月1日)は、アメリカ合衆国のプロレスラー。ミシシッピ州パスカグーラ出身〔。 1960年代は囚人服スタイルの悪役覆面レスラー、ザ・コンビクト(The Convict)のオリジナル版として活躍。1970年代より農夫ギミックのベビーフェイスに転じ、1980年代中盤にはアンクル・エルマー(Uncle Elmer)のリングネームでWWFにも登場した。 == 来歴 == 1960年にデビューし〔、カントリー・プラウボーイ(Country Plowboy)やエド・ヤンガー(Ed Younger)などの名義で南部のローカル・テリトリーで活動。1968年2月、覆面レスラーのザ・コンビクトに変身し、フレッド・ブラッシーの用心棒としてロサンゼルス地区に出現〔『Gスピリッツ Vol.19』P93-94(2011年、辰巳出版、ISBN 4777808920)〕。ニューヨークのシンシン刑務所を脱獄してきたという設定のもと、囚人服を着たヒールの巨大マスクマンとしてセンセーショナルな存在となり、同地区のスターだったボボ・ブラジルやミル・マスカラスとも対戦した〔。 1970年4月、日本プロレスに来日。ドン・レオ・ジョナサン、ターザン・タイラー、クリス・マルコフ、ダッチ・サベージ、ネルソン・ロイヤル、ポール・ジョーンズ、パンピロ・フィルポらと共にワールド・リーグ戦の第12回大会に出場した。「馬場より大きい男」として話題を集めたが、リーグ戦では山本小鉄、大熊元司、高千穂明久、ミツ・ヒライなどの中堅や若手からは勝利を収めたものの、トップのジャイアント馬場、アントニオ猪木、坂口征二には歯が立たず、戦績は芳しくなかった〔〔『プロレスアルバム51 これぞプロレス ワンダーランド!!』P30(1984年、恒文社)〕。帰米後の6月10日には、ハワイ州ホノルルにてペドロ・モラレスと対戦している。 ザ・コンビクトとして活躍中の1969年より、ビッグ・テックス(Big Tex)やジャイアント・フレイジャー(Giant Frazier)などと名乗って素顔での活動を並行させていたが、1971年からはザ・コンビクトのギミックと完全に決別して素顔となり、テネシー州メンフィスのNWAミッドアメリカ地区に登場。1972年から1975年にかけて一時リングを離れていたものの、1976年の復帰後もテネシーを主戦場に、オーバーオールを身に付けたヘイスタック・カルホーン系のキャラクター、プラウボーイ・フレイジャーとして活動〔。ファーマーボーイ・スタイルの陽気なベビーフェイスとして、ジャッキー・ファーゴやビル・ダンディーなどの人気選手のパートナーとなった。 1977年からはジェリー・ジャレットがメンフィスで旗揚げした新興プロモーションのCWAに参戦し、デビッド・シュルツ、ジョー・ルダック、モンゴリアン・ストンパー、ロン・バス、ジプシー・ジョーらヒール勢と抗争を展開。アラバマやジョージアなどディープサウスの他地区にも出場し、ジョージアでは1981年1月26日、テッド・デビアスと組んでファビュラス・フリーバーズのマイケル・ヘイズ&テリー・ゴディからNWAナショナル・タッグ王座を奪取。本拠地のCWAではエースのジェリー・ローラーと組み、同年4月6日にメンフィスのミッドサウス・コロシアムにてザ・ファンクスとテキサス・デスマッチで対戦、勝利を収めている。以降もCWAを主戦場に活動を続け、1983年にはザ・コンビクトのギミックを一時的に復活させた〔。 1985年下期、農夫のギミックはそのままに、アンクル・エルマーと改名してWWFに登場。ヒルビリー・ジムやカズン・ジュニアらとユニットを結成し、ハート・ファウンデーション(ブレット・ハート&ジム・ナイドハート)やアイアン・シーク&ニコライ・ボルコフなどのチームと対戦。アンダーカード要員のポジションだったものの、当時グレッグ・バレンタイン&ブルータス・ビーフケーキが保持していたWWF世界タッグ王座にも挑戦した。シングルではジェシー・ベンチュラと抗争し、翌1986年4月7日にはレッスルマニア2のロサンゼルス大会にてアドリアン・アドニスとのシングルマッチも組まれた〔。 1986年5月1日のサタデー・ナイツ・メイン・イベントでのキングコング・バンディ戦を最後にWWFを離れて古巣のCWAに戻り、6月23日にジェリー・ローラーとのコンビでAWA南部タッグ王座を獲得。以降もオースチン・アイドル、トミー・リッチ、ボビー・ジャガーズ、ダッチ・マンテルなどの旧敵と対戦した。キャリア末期の1989年にはCWAの後継団体であるUSWAにも出場している〔。 1992年7月1日、腎不全により死去〔。〔。 ジョージ・ボラスのゼブラ・キッドやベンジー・ラミレスのザ・マミーなどと同様、フレイジャーの演じたザ・コンビクトのギミックを真似たレスラーは、彼の引退後や死後も各地に出現した。日本でも平成期に入り、各団体において同名のオマージュレスラーが登場している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「スタン・フレイジャー」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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