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スターリツァ(ロシア語: ; Staritsa)はロシアのトヴェリ州の都市。ヴァルダイ丘陵の東部に位置し、ヴォルガ川の上流にスターリツァ川が合流する街で、トヴェリからは南西へ77km。人口は9,125人(2002年国勢調査)。最寄りの鉄道駅は12km離れたところにあり、モスクワ・サンクトペテルブルク間の幹線からリホスラヴリで分かれトルジョーク=ルジェフ=ヴャジマを結ぶ支線上にある。 == 歴史 == この町は1297年、ゴロドク(, 「小さな町」)という名で設立された。1365年にはヴォルガ川右岸の高地から左岸の低地に移転した。新しい場所にできた町はノーヴィイ・ゴロドク(, 「新しいゴロドク」)と呼ばれた。 15世紀以降、町は「スターリツァ」(「以前の川床」の意)の名で呼ばれるようになった。しかしスターリツァには「老婆」の意味もあるため、スターリツァの紋章には誤って老いた尼僧の絵があしらわれることになった。かつて強国だったトヴェリ公国の支配下にあったスターリツァは、1485年には公国の他の部分とともにモスクワ大公国に併合された。 16世紀初頭、モスクワ大公イヴァン3世の末子アンドレイがスターリツァ公になり、さらにその息子ウラジーミルに受け継がれた。彼らの下でスターリツァの街は黄金時代を迎える。イヴァン4世(雷帝)が重病に見舞われた時、ボヤーレたちはその息子でなくウラジーミルを後継者にしようとした。この事件以後、イヴァン4世はスターリツァ公が自分に対する陰謀を巡らせていると思い込み、ウラジーミルとその息子達は毒薬を飲まされ、一家は全滅した。ウラジーミルの時代の繁栄ぶりは、生神女就寝(ウスペンスキー)修道院にも見ることが出来る。 1775年には郡の中心地となった。第二次世界大戦では、1941年10月から1942年1月までの間ドイツ軍に占領されている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「スターリツァ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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