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スターリングラード攻防戦 : ミニ英和和英辞書
スターリングラード攻防戦[すたーりんぐらーどこうぼうせん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
攻防 : [こうぼう]
 【名詞】 1. offense and defense 2. offence and defence 
攻防戦 : [こうぼうせん]
 (n) battle
防戦 : [ぼうせん]
  1. (n,vs) defensive fight (battle) 
: [いくさ]
 【名詞】 1. war 2. battle 3. campaign 4. fight 

スターリングラード攻防戦 : ウィキペディア日本語版
スターリングラード攻防戦[すたーりんぐらーどこうぼうせん]

スターリングラード攻防戦(スターリングラードこうぼうせん、1942年6月28日 - 1943年2月2日)は、第二次世界大戦独ソ戦において、ソビエト連邦領内のヴォルガ川西岸に広がる工業都市スターリングラード(現ヴォルゴグラード)を巡り繰り広げられた、ドイツルーマニアイタリアハンガリー、およびクロアチアからなる枢軸軍ソビエト赤軍の戦いである。
スターリングラードは元来ドイツ軍ブラウ作戦における副次的目標の一つに過ぎなかったが、戦略上の要衝の地であったことに加え、時のソビエト連邦最高指導者ヨシフ・スターリンの名を冠した都市でもあったことから熾烈な攻防戦となり、史上最大の市街戦に発展、やがては日露戦争奉天会戦第一次世界大戦ヴェルダンの戦いを上回る動員兵力、犠牲者、ならびに経済損失をもたらす野戦に拡大した。
緒戦は枢軸軍側の優位に進んだものの、最終的にはソ連軍側の反攻が圧倒し、ついには包囲されるに至ったドイツ第6軍を主軸とする枢軸合同軍が降伏。独ソ戦の趨勢を決し、第二次世界大戦の全局面における決定的な転換点のひとつとなった。
死傷者数はソンムの戦いなどの第一次世界大戦の激戦を遥かに超える規模で、枢軸側が約85万人、ソビエト側が約120万人、計200万人前後と見積もられた。街は瓦礫の山と化し、開戦前に60万を数えた住民が終結時点でおよそ9800名にまで激減。第二次世界大戦最大の激戦、また13世紀の「バグダッド包囲殲滅戦」(モンゴル帝国)などと並ぶ人類全史上でも屈指の凄惨な軍事戦であったと目されている。
== 戦いの背景 ==
1941年6月22日に開始されたドイツ軍のソ連侵攻(バルバロッサ作戦)は、12月に冬将軍の影響とソ連軍の反撃により、首都モスクワ攻略タイフーン作戦に失敗した。大きな損害を出しつつ後退したドイツ軍だったが、ノブゴロドスモレンスクハリコフを維持し、どうにか冬の戦線を持ちこたえることができた。
翌1942年5月、春季攻勢に出たソ連軍はセミョーン・チモシェンコ元帥のもとでハリコフの奪回を図るが、ドイツ軍は第6軍第1装甲軍の南北からによる後方遮断でこれを阻止・殲滅した(第二次ハリコフ攻防戦)。これによりドイツ軍は再び攻勢の時期を迎えるが、もはや前年のようにバルト海から黒海にいたる全戦線で大規模攻勢を行うほど戦力は回復しなかった。そこで、南方軍集団の戦線に限定された攻勢ブラウ作戦が立てられた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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