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スチュワート(スチュワート・グランプリ、Stewart Grand Prix)は、1997年から1999年までF1に参戦していたレーシングチーム。 == 歴史 == 往年の名ドライバーであるジャッキー・スチュワートとその息子ポールが共同出資という形で興し、1997年よりF1グランプリへの参戦を開始。 新参チームながら、フォードのワークス待遇やビッグスポンサー(HSBC)との契約など、なかなか恵まれたチーム体制となる。1997年には雨のモナコでルーベンス・バリチェロが2位に入り、ルクセンブルクGPでは一時両車入賞圏内を走るなど健闘を見せたが、新規参戦チームへのF1の壁は厚く、入賞はこの1回のみ。初期トラブルが多く完走率が低かった。しかし、予選ではしばしば速さを見せ、度々トップ10内に食い込んで見せた。 マシンのカラーは白地にジャッキー・スチュワートのトレードマークでもあるタータンチェックのラインを入れ、スポンサーロゴを貼るというシンプルな構成だった。 1998年はカーボンファイバー製ギアボックスなど攻めの姿勢でマシン製作を行うが裏目となり、さらにマシン自体が駄作と評され、低迷の原因になる。シーズン中盤にはドライバーのヤン・マグヌッセンを解雇し、ヨス・フェルスタッペンを起用。コンストラクターズランキングは8位と昨年の9位を上回ったが、前年ほどのスピードを感じるさせることはなく、最高位は、波乱の第5戦スペインGPと第7戦カナダGPの5位。この年はたった5点しか獲得できなかった。 1999年はバリチェロとジョニー・ハーバートというラインナップで戦った。車体技術が著しく向上し、この年のアラン・ジェンキンスとエグバル・ハミディによってデザインされたシャシーSF-3と軽量コンパクトでありながらハイパワーな新設計のコスワースCR-1エンジンの組み合わせは思いのほか強力で、フェラーリ、マクラーレンやウィリアムズ、ジョーダンといった強豪と互角に渡り合う健闘を見せる。バリチェロは第7戦フランスGPでチーム初となるポールポジションを獲得した。また、第14戦ヨーロッパGPで荒れたレースを制したハーバートがチーム初優勝をもたらし、バリチェロも3位表彰台を獲得した。こうした活躍もあり、1999年はフェラーリ、マクラーレン、ジョーダンに次ぎ、ウイリアムズを凌ぐコンストラクターズ4位と一挙に飛躍した。 だが1999年をもってスチュワートチームはフォードに買収され、ジャガーF1チームとして再生する。ジャガーは5年間F1に参戦し続けるが、政治的ないさかいに終始した結果、スチュワート時代最後の年の活躍が嘘であったかのように初年度から低迷し、不振から抜け出すことなくフォード本社の業績不振に伴い、2004年をもってレッドブルに身売りすることとなってしまう。スチュワートが著しい成長を見せていただけに、フォードの都合により体制変更されたことは大いに悔やまれる結果となった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「スチュワート・グランプリ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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