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スティーブ・アームストロング(Steve Armstrong、本名:Steven James、1965年3月16日 - )は、アメリカ合衆国の元プロレスラー。ジョージア州マリエッタ出身。 父親はWWE殿堂者のボブ・アームストロング。WWEレフェリーのスコット・アームストロングと元WCWライトヘビー級王者のブラッド・アームストロングは兄、元WWF世界タッグ王者の "ロード・ドッグ" ジェシー・ジェームズことブライアン・アームストロングは弟である。 == 来歴 == 1983年、父のボブ・アームストロングが主戦場としていたアラバマのサウスイースタン・チャンピオンシップ・レスリングにてデビュー。トミー・リッチの従兄弟という設定のジョニー・リッチとのタッグチームで売り出され、1984年から1985年にかけてはジェリー・スタッブス&アーン・アンダーソンとNWAサウスイースタン・タッグ王座を争った。 1987年、トレイシー・スマザーズを新パートナーに、NWAのフロリダ地区でサザン・ボーイズ(The Southern Boys)を結成。ベビーフェイスの若手コンビとして南部を主戦場に活躍し、1988年3月5日には古巣のアラバマにてロバート・フラー&ジミー・ゴールデンからNWAコンチネンタル・タッグ王座を奪取した。 同年7月には揃って新日本プロレスに初来日。軽快な空中殺法とイキのいいファイトスタイルで好評を博し〔『新日本プロレス 来日外国人選手 PERFECTカタログ』P60(2002年、日本スポーツ出版社)〕、再来日となる11月の『'88ジャパンカップ・シリーズ』ではジョージ高野を加えたトリオでエリミネーション方式の6人タッグ・リーグ戦に出場した。 1990年、ヤング・ピストルズ(The Young Pistols)のチーム名でWCWに参戦し、マイケル・ヘイズ&ジミー・ガービンのファビュラス・フリーバーズと抗争。1991年11月5日にはトッド・チャンピオン&チップ・ザ・ファイヤーブレーカーを破ってUSタッグ王座を獲得、翌1992年1月14日にロン・シモンズ&ビッグ・ジョッシュに敗れるまでタイトルを保持した。 スマザーズとのコンビ解散後、1992年9月よりカウボーイ・ギミックのランス・キャシディ(Lance Cassidy)に変身してWWFに登場。ハウス・ショーのミッドカードにおいて、テリー・テイラー、リポマン、スキナーなどの中堅ヒールから勝利を収めたが、翌1993年1月に短期間で離脱している。 WWF離脱後はジム・コルネットが主宰していたスモーキー・マウンテン・レスリングに参戦。スコット・アームストロングとの兄弟タッグで活動し、1993年から1995年にかけて、ヘブンリー・ボディーズ(トム・プリチャード&ジミー・デル・レイ)やブルーズ・ブラザーズ(ロン&ドン・ハリス)、ブライアン・リー&クリス・キャンディードなどのチームと抗争を展開した〔。 その間、1994年8月に覆面レスラーのザ・ファルコン(The Falcon)として全日本プロレスに来日〔『全日本プロレス 来日外国人選手 PERFECTカタログ』P89(2002年、日本スポーツ出版社)〕。ジ・イーグルとのマスクマン・コンビで活躍し、同年11月開幕の世界最強タッグ決定リーグ戦にも出場した。全日本には1995年2月まで、ザ・ファルコンのギミックで通算4回参戦している。 1996年からはスコットと共にWCWに移籍。ハーレム・ヒートやスタイナー・ブラザーズとも対戦したものの、選手層の厚かった当時のWCWではポジションを得られず、セミレギュラーの立場で2000年までジョバーを務めた〔。 セミリタイア後の2002年8月28日にはTNAに登場、父ボブ・アームストロングの別キャラクターだった覆面レスラーのザ・バレット(The Bullet)に扮し、ジェフ・ジャレットと対戦した〔〔。近年もアラバマのインディー団体に時折出場している〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「スティーブ・アームストロング」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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