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スティーブン・パトリック・ガービー(Steven Patrick Garvey , 1948年12月22日 - )ことスティーブ・ガービーは、アメリカ合衆国・フロリダ州タンパ出身の元野球選手(内野手)。 178cmとメジャーリーガーの中では小柄ながら、巧守巧打の一塁手として活躍した。 現在は南カリフォルニアで実業家として活躍中。 == 来歴・人物 == のMLBドラフト1巡目(全体の13番目)でロサンゼルス・ドジャースに指名され契約。9月1日の対ニューヨーク・メッツ戦で、7回裏にレイ・ラムへの代打として出場してMLBデビューを果たすが、ジャック・ディラウロの前に三振を喫した。同年9月10日の対ヒューストン・アストロズ戦の8回表にアラン・フォスターへの代打として出場し、デニー・レマスターからMLB初安打をマークした。 には打率.312、21本塁打、111打点の活躍でチームのワールドシリーズ進出に貢献し、ナ・リーグMVPに選ばれた。この年からまで4年連続してゴールドグラブ賞を受賞。遠征には複数のミットを持ち、乾燥した地域ではこのミット、小雨の試合ではこのミットというように使い分けていた。二塁手デービー・ロープス、三塁手ロン・セイ、遊撃手ビル・ラッセルと共に、8年間不動の内野陣を築く。 はMLBオールスターゲームでMVPを獲得。同年のナ・リーグチャンピオンシップシリーズで4本塁打(史上最多タイ)を打ち、このシリーズのMVPに選ばれる。人間的にも優れ、ボランティアや奉仕活動に貢献した選手に贈られるロベルト・クレメンテ賞もに受賞している。この年にはキャリア唯一のワールドシリーズ優勝に輝いた。 にサンディエゴ・パドレスに移籍。にはチームが地区優勝を果たし、シカゴ・カブスとのチャンピオンシップシリーズに出場(当時は5回戦制)。1勝2敗と後のない状態で迎えた第4戦で、リー・スミスからサヨナラ2ランホームランを打ち、2勝2敗のタイに戻す。パドレスは翌日の第5戦にも勝ってチーム史上初のワールドシリーズに進出。ガービーは自己2度目のリーグチャンピオンシップシリーズMVPに選ばれた。ワールドシリーズはデトロイト・タイガースに敗れたが、この年にはルー・ゲーリッグ賞にも選ばれた 次第に忍び寄る衰えには勝てず、には打率.255に終わり、ジョン・クルックの成長もあって5月23日の出場を最後に現役を引退。不振のガービーをラインナップから外す際に、当時監督のラリー・ボーワは「私の野球人生でもっとも辛い決断」とコメントした。 ドジャース時代の9月3日からパドレス時代の1983年7月29日にかけて、1207試合連続出場を果たす。これは、当時メジャー史上第3位であった(2010年現在では第4位)。 背番号はドジャース、パドレスを通じて『6』をつけており、最後のシーズンを迎えたパドレスで永久欠番に指定された。この欠番はパドレス初の永久欠番であった。 引退後は「ガービー・コミュニケーションズ」という情報コマーシャル会社を設立。 のMLBドラフトで、息子のライアンがフィラデルフィア・フィリーズから15巡目で指名された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「スティーブ・ガービー」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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