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スティーブ・ハケット : ミニ英和和英辞書
スティーブ・ハケット[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

スティーブ・ハケット ( リダイレクト:スティーヴ・ハケット ) : ウィキペディア日本語版
スティーヴ・ハケット[ちょうおん]

スティーヴ・ハケット(Steve Hackett、本名:Stephen Richard Hackett、1950年2月12日 -)は、イギリスロンドン出身のギタリストシンガーソングライター
== 略歴 ==
プロのキャリアとしてはCanterbury Glass、Sarabandeといったバンドを経て、1970年クワイエット・ワールドのアルバム「The Road」でデビュー。その直後、アンソニー・フィリップスに替わってジェネシスに加入。同バンドのサード・アルバム「Nursery Cryme 怪奇骨董音楽箱」(1971年)から1977年のライヴ・アルバム「Seconds Out 幻惑のスーパー・ライヴ」まで参加、以降は主にソロ・アーティストとして活動している。ソロ活動では実弟であるジョン・ハケット(フルート奏者)との共演も多い。
1975年ジェネシス在籍中に初のソロ・アルバム「Voyage of the Acolyte 侍祭の旅」を発表。ヴォーカルのピーター・ガブリエルが脱退し、ジェネシスとしての活動が停滞していた時期であり、フィル・コリンズマイク・ラザフォードも制作に参加している。その他、サリー・オールドフィールドパーシー・ジョーンズ、ソロ活動初期の盟友となるジョン・アコック(キーボード / エンジニアリング / プロデュース)らが参加。
1977年ジェネシスの2枚組ライヴ・アルバム「Seconds Out」のミックスダウン中にバンドを脱退。翌1978年に脱退後初となるセカンド・ソロ「Please Don’t Touch !」を発表。ウッドストック・フェスティバルのオープニング・アクトとして著名なリッチー・ヘブンスR&Bシンガーのランディ・クロフォードカンサススティーヴ・ウォルシュと多彩なゲストシンガーを迎えて制作された。また、ジェネシスのツアー・サポートを始めていたチェスター・トンプソン(ドラムス、パーカッション)も参加している。
1979年「Spectral Mornings 虹色の朝」、1980年「Defector」と、ファーストと共に名作と並び称される作品を発表。長年に渉り創作活動を共にするニック・マグナス(キーボード)は、この時期から制作に参加している。
1981年、ニック・マグナス、ジョン・ハケットと共に「Cured」を制作。この年にはアートワークを担当していたキム・プーアと結婚しており、本作は彼女に捧げられた。また、前作までのバンド形態をいったん解消し、リズムセクションはドラムマシンが導入されている。この頃よりポップな要素が含まれた作風が目立ち始めた。
1982年「Highly Strung」を発表。
その後のライヴ・レパートリーでも定番となり、スティーヴ自身が後に立ち上げたカミノ・レコードの由来でもある「Camino Royal」や、シングルとして英国でスマッシュヒットした「Cell 151」が収録された作品。バンド・サウンドを復活させた意欲作であるが、この作品を最後にジェネシス時代より所属していたカリスマ・レコードとの契約が終了した。
1983年「Bay of Kings」を発表。クラシック・ギターをメインに据えた初の全編インストゥルメンタルの作品であり、「Cured」と同様にスティーヴとニック・マグナス、ジョン・ハケットの3人で制作された。
本作はイタリアのスポーツカー・メーカーランボルギーニが立ち上げた「ランボルギーニ・レコード」へ移籍してのリリースとなった。本作を契機に、ロック作品と並行してクラシック/アコースティックのインストゥルメンタル・アルバムの制作が開始された。ランボルギーニ・レコードからは12インチ・シングル「A Doll That's Made in Japan」も発売されている。
1986年スティーヴ・ハウと結成したGTRが成功したが、ツアーが終了後にすぐに脱退した。
1996年ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団ビル・ブルーフォードらと共演し、ジェネシスの音楽を再構築したアルバム「Genesis Revisited」を制作した。それをきっかけに、ジョン・ウェットンイアン・マクドナルド、チェスター・トンプソン、ジュリアン・コルベックとライヴ用バンドを結成し、来日公演を行っている。
1999年、前年に発表されたジェネシスのCD BOX「Genesis Archive 1967-1975」の際に、トニー・バンクス、フィル・コリンズ、マイク・ラザフォードの3人に加えピーター・ガブリエルら歴代メンバーと再会したのを機に、1974年当時のラインナップでトレヴァー・ホーンのプロデュースによって「Carpet Crawlers 1999」をレコーディングした。こちらはジェネシスのシングルとしてリリースされ、ベスト盤「Turn It On Again」にも収録された。「Genesis Archive」では、録音状態の悪いライヴ音源を補完するために、スティーヴのギター含め、各人が当時の音源にオーバーダブを施した。
同年のソロ活動としては「Darktown」が発表されている。
2003年頃からハンガリーのエスニック・ジャズ・バンド、Djabeと接近。スペシャルゲストとしての共演からメンバーとしても含められるようになり、パーマネントではないにしても2013年現在まで、複数の作品やライブ活動にギター/ヴォーカルとして参加し、ライブの一部はDjabeのDVDに収録されている。
2007年、画家、ジュエリー・デザイナーのキム・プーアと離婚。彼女はファースト・ソロ作「Voyage of the Acolyte 侍祭の旅」から、彼の殆どの作品でジャケットアートを手がけていた。
2010年、ジェネシスがロックの殿堂入りを果たした際、ピーターを除いた往時の4人で授賞式に参加。
2011年には、近年のバンド・メンバーの一人アマンダ・リーマン(G, Vo)の姉妹であるジョー・リーマンと3度目の結婚。彼女はこの数年の作品中で、共作者の一人としてクレジットされている。
2012年イエスベーシストクリス・スクワイアとのユニット名義「SQUACKETT」でアルバム「Life Within a Day」を発表。
また、「Genesis Revisited II」を発表し、ワールドツアーを敢行。日本には2013年6月に来日公演を行った。同年5月のハマースミス・アポロ公演は、Prog Rock Awards 2013の「Live Event」部門を受賞。この時の模様はCD/DVDのボックスセットとして発表された。
2014年には「Genesis Extended - World Tour」として欧米ツアーが再開。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「スティーヴ・ハケット」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Steve Hackett 」があります。




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