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スティーブ・ペリー : ミニ英和和英辞書
スティーブ・ペリー[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

スティーブ・ペリー ( リダイレクト:スティーヴ・ペリー ) : ウィキペディア日本語版
スティーヴ・ペリー[ちょうおん]

ステファン・レイ・“スティーヴ”・ペリー(Stephen Ray "Steve" Perry、1949年1月22日 - )は、アメリカ歌手、ミュージシャン。ロックバンドジャーニーの元ヴォーカリスト
「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第76位。
== 来歴==

カリフォルニア州出身でポルトガル系。父はシンガーであり、音楽やミュージシャンに慣れ親しんで育ったが、両親の離婚後母親に引き取られたため、彼の心に深い傷となって残った。1970年代からエイリアン・プロジェクトというバンドで音楽活動を始め、メジャー・デビューを控えていたが、その直前にベーシストが事故死したことによりバンドは解散。それを機に音楽活動を諦め、その後は郷里で農業を営んでいたが、業界関係者を通じてエイリアン・プロジェクトのデモテープを耳にした、当時のジャーニーのマネージャー、ハービー・ハーバートが白羽の矢を立てた。ほどなくオーディションに合格したペリーは、ジャーニーの初代ヴォーカリスト、ロバート・フライシュマンとツアー中に入れ替わる形でバンドに加入した。
その後のジャーニーは、それまでのプログレッシブ・ロック風の音楽性をポップな方向に変えていく。加えて精力的なツアーをこなして人気の地歩を固め、1980年代前半にはバンド史上類例のない多数のヒット曲をチャートへ送り込む原動力となった。
ジャーニーが、アルバムエスケイプ』並びに『フロンティアーズ』でスターへの仲間入りを果たした後、ネームバリューを得たペリーは、1984年にソロ活動も始めた。その中でも、当時の意中であった女性への想いを歌った「Oh,シェリー」は、ソロ・デビュー・アルバム『ストリート・トーク』の人気を牽引し、一説には「アメリカで知らない人が居ない」と言わしめる程のヒット曲となった(ちなみに、時期は前後するがペリーは以前にもケニー・ロギンスネッド・ドヒニーのアルバムにゲスト参加したことがあった)。アルバム『ストリート・トーク』は、ジャーニーの楽曲とは一風異なるR&B寄りの作風で、彼独自の持ち味を広く訴求することに成功し、上述の「Oh, シェリー」の他にも「フーリッシュ・ハート」や「ストラング・アウト」などのヒット曲を生み出している。
1985年にはUSAフォー・アフリカのアルバムにも参加し、メイン曲「ウィ・アー・ザ・ワールド」ではマイケル・ジャクソンレイ・チャールズスティーヴィー・ワンダーボブ・ディランポール・サイモンダイアナ・ロスブルース・スプリングスティーンライオネル・リッチーなど、数多の人気ミュージシャンと共演しつつ、新曲「モーメント・ガール」も提供している。
1986年のジャーニーのアルバム『Raised On Radio〜時を駆けて』ではプロデュースも担当するなど、ヴォーカリストに留まらない活躍を見せたが、1987年のツアー中にジャーニーを脱退。その後はしばらく表舞台から遠ざかっていたが、およそ7年の時を経て1994年にソロ・アルバム『ストレンジ・メディスン』を発表し、ファンの注目を集めた。ペリーは、このアルバムを引っ提げてツアーを行い、日本での公演も予告されていたが、退行性骨関節疾患を患いツアーを中断。療養生活の中で、彼は自身が脱退後に空中分解の状態となっていたジャーニーの再結成へ向けて可能性を模索し始め、やがてメンバーとの合流を果たす。
1996年に再結成したジャーニーの中核として、アルバム『トライアル・バイ・ファイアー』で腕を振るうが、体調は戻らず1998年に脱退を余儀なくされる。その後は、ワーナー・ブラザーズのアニメ映画『キャメロット』のオリジナルサウンドトラックにおける主題曲の競演や、2003年には映画『モンスター』のサウンドトラックのプロデュースも手掛けたほか、デヴィッド・パックの作品にゲスト・ヴォーカルとして参加している。それ以外は表立った音楽活動を殆ど行っておらず、時折ライブを行っている程度であったが、2015年12月に実に約23年ぶりとなるソロアルバムをリリースすることを表明した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「スティーヴ・ペリー」の詳細全文を読む




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