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スティーライ・スパン : ミニ英和和英辞書
スティーライ・スパン[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

スティーライ・スパン : ウィキペディア日本語版
スティーライ・スパン[ちょうおん]

スティーライ・スパン(Steeleye Span)は、イギリスフォークロックバンド。元フェアポート・コンヴェンションのアシュリー・ハッチングスを中心に結成され、1970年にデビュー。イギリスの伝承音楽にエレクトリックギターを取り入れた音楽性。メンバー・チェンジを繰り返しながらも、現役バンドとして活動中。
== 来歴 ==

=== 結成 - 1970年代 ===
フェアポート・コンヴェンションを脱退したアシュリー・ハッチングスは、1969年イングランド人夫婦のマディ・プライアとティム・ハート、アイルランド人夫婦のテリー・ウッズ(元スウィニーズ・メン)とゲイ・ウッズと共にスティーライ・スパンを結成。フェアポート・コンヴェンションと同様、エレクトリックギターを用いたトラッドを指向したが、スティーライ・スパンは、ドラマーを含まない編成を特徴としていた(ただし、デビュー・アルバムではフェアポート・コンヴェンションのドラマーであるデイヴ・マタックスがゲスト参加)。
バンドは、イングランド南西部のウィルトシャーで共同生活をしながら活動し〔『ブリティッシュ・フォーク&トラッド・ロック 増補改訂版』(小西勝・監修、ストレンジ・デイズ、ISBN 978-4-902342-19-2)p.34〕、1970年にデビューを果たすが、間もなくウッズ夫妻が脱退。2人はウッズ・バンドやゲイ&テリー・ウッズ名義で活動し、テリーは後にザ・ポーグスの正式メンバーとなる。バンドはマーティン・カーシーとピーター・ナイトを迎えて活動を続け、セカンド・アルバム『Please to See the King』(1971年)で、全英アルバム・チャートへのチャート・インを果たす(最高45位)〔ChartArchive-Steeleye Span- 〕。しかし、次作『Ten Man Mop, or Mr. Reservoir Butler Rides Again』(1972年)を最後に、アシュリーとマーティンの2人が脱退。
リック・ケンプとボブ・ジョンソンを加えた編成で、2枚のアルバムを発表した後、スティーライ・スパンは、同バンド史上初のドラマーとしてナイジェル・ピーグラムを迎えて6人編成となる。バンドはロック色を強め、ナイジェル在籍時としては第1弾のアルバム『Now We Are Six』(1974年)は、デヴィッド・ボウイサックスでゲスト参加〔Now We Are Six : AllMusic 〕。更に、1975年発表の8作目『All Around My Hat』は、全英7位に達するヒット作となり、タイトル曲もシングル・カットされて全英5位に達した〔。
1976年にはボブ・ジョンソンとピーター・ナイトが脱退。その後、ジョン・カークパトリックが加入し、また、1972年に脱退したマーティン・カーシーが復帰した編成で『Storm Force Ten』(1977年)を発表するが、1978年には一度解散。同年、マディ・プライアは初のソロ・アルバム『Woman in the Wings』発表。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「スティーライ・スパン」の詳細全文を読む




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