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===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
スティーヴン・ポール・"スティーヴ"・マクマナマン(Steven Paul "Steve" McManaman, 1972年2月11日 - )は、イングランド・リヴァプール出身の元イングランド代表サッカー選手。ポジションはMF。 == 経歴 == 少年時代はエヴァートンFCのファンだったが、1988年にリヴァプールFCのアカデミーに入団し、1990年にプロ契約を結んだ〔footballista #141、ソルメディア、2009年11月4日号〕。1990年2月のシェフィールド・ユナイテッドFC戦でデビューし、1991-92シーズンにはFAカップ、1994-95シーズンにはフットボールリーグカップで優勝し、1995-96シーズンにはリーグ戦でアシスト王(25アシスト)になった。1995年11月には対ナイジェリア戦で代表デビュー。翌年のEURO1996にも左サイドハーフとして出場した。イングランドきってのドリブラーで、敵陣へ突入していく様は壮観であった。そのドリブルテクニックは往年の名ドリブラー、スタンリー・マシューズから賞賛された。抜群のスタミナも有しており、豊富な運動量でピッチを何度も往復し献身的に守備もこなす。また、ボレーシュートの名手でもある。EURO1996までは代表の中心選手かつ牽引役であったが、監督が交代し、またデヴィッド・ベッカムが頭角を現して代表に呼ばれるようになると、控えに回ることが多くなった。1998年のフランスW杯での出場はわずか20分程度に留まった。リヴァプールFCでの最終シーズンである1998-99シーズンには主将を務めた。 クラブでは、1999-2000シーズンよりリーガ・エスパニョーラの強豪レアル・マドリードへ移籍。4シーズンで2度のUEFAチャンピオンズリーグ優勝や2度のリーグ制覇に貢献した。しかし、ジネディーヌ・ジダン、ロナウドらの加入により次第に出場機会が減少した。それでも、サブとして渋い仕事をこなし、サンティアゴ・ソラーリと共に貴重なスーパーサブとして、チームに貢献していた。だが、皮肉にも移籍した年に加入したベッカムがスタメンに定着し、互いにハンサムなことで知られる二人には妙な縁がついてまわることになったが、ドリブラーとパサーという全く異なるプレースタイルゆえ、選手起用については監督の好みや商業的要素に左右された面があったように思われる。そのことは、移籍時にミチェル・サルガドがクラブに苦言を呈したことからも伺える。2003-04シーズンよりマンチェスター・シティへ移籍し、2シーズンプレーした後、現役を引退した。 現役引退後はテレビのコメンテーターとして活動している。2007年に公開されたサッカー映画GOAL!2にはコーチ役で出演した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「スティーブ・マクマナマン」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Steve McManaman 」があります。 スポンサード リンク
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