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スティーヴ エトウ(Steve Eto、本名:衛藤高登、1958年4月20日 - )は日本で活躍するパーカッショニスト(重金属打楽器奏者)。 従来の打楽器演奏に加え、ドラム缶や自動車のバンパーを金属管で叩く、ヴォコーダーを用いたボイスパーカッションを行う、果てはグラインダーで火花を散らすなど、所謂パーカッショニストとは一線を画したプレイが特徴。 活動初期は「スティーヴ衛藤」という表記であったが、現在の正式表記は「スティーヴ エトウ」(「ヴ」と「エ」の間に半角スペース)である。 現在は音楽事務所等に所属しておらず、フリーランスにて活動中。打楽器によるワンマンライブも行っている。 ==略歴== *米国ロサンゼルス生まれ、6歳までニューヨークで過ごす。当時の家は、後にジョン・レノンが射殺されることになるダコタ・ハウス(w:The Dakota)からわずか数軒隣りの場所にあった。 *三人兄弟の次男。父は箏曲家衛藤公雄、弟は和太鼓奏者レナード衛藤。 *両親ともに日本人であるが、アメリカ合衆国の血を引いており、現在アメリカ国籍を有している。自身のブログにしばしばビザに関するネタが登場している。なお弟のレナードもアメリカ国籍である。 *早稲田大芸系属早稲田実業学校高等部、早稲田大学出身。高校時代は鎌倉市の極楽寺に在住〔牛日記 2008年1月18日 「伊藤の話」の項を参照〕。高校の同期に小室哲哉が、大学の同期にホッピー神山、サンプラザ中野、聖飢魔IIなどがいる。中学時代は風紀委員長、高校時代は生徒会の書記を務めていた。 *高校1年生の時にサンタナを聴いてパーカッションを始める。初めて買った打楽器は渋谷の河合楽器にて1万4千円で買ったボンゴ。 *西田敏行の「もしもピアノが弾けたなら」ツアーへの参加でプロミュージシャンとしての活動を開始。後に小泉今日子のツアーメンバーとなる。 *ヤマハのコンテストEastWest'81に出場し、ベストパーカッショニスト賞を獲得。その後ファンキー末吉に誘われ、この大会でグランプリを受賞した爆風銃に加入。 *PINKを経て、小泉今日子・布袋寅泰・COMPLEX・吉川晃司・藤井フミヤなどのサポートメンバーとして活動。 *1998年にはソロアルバムをリリース。楽曲のタイトルはすべて小泉今日子により命名された。 *PINK時代は普通の打楽器を演奏していたが、吉川晃司のサポートで参加したツアーにて初めてドラム缶を叩き火花を散らすパフォーマンスを披露する。このようなスタイルとなったきっかけは、電子ドラム等で音を鳴らしていたが「ゴムを貼った板みたいな物を叩いて派手な音がしても説得力が無いように感じて来て、ならばドラム缶のように「ガシッ」と鳴りそうなモノを叩いた方が絵的にもイイだろう」と考えたことから。 *ドラム缶は「横山容器工業」で購入しているもので〔twitter 2011年5月28日 twitterでの本人談。〕、決して拾ったものではない。 *映像制作も手掛けており、ソロのライブでは主に自身が制作した映像に合わせて演奏するパフォーマンスを披露している。 *三波春夫のツアーに参加した経緯から、2002年新潟県三島郡越路町にできた三波の銅像にはエトウの名も彫られている。 * 2003年に初めて鹿児島県の奄美大島を訪れてから、リゾートではない奄美群島に惹かれ、年に数度訪問、「Dearどぅしでぃあ」など、奄美関連イベントに常連参加しており、奄美の人よりも奄美に詳しいといわれるほどの奄美好き〔「『みなみなみなみ』とスティーヴ・エトウ、島を語る」『季刊リトケイ』2013年WINTER、2013年、離島経済新聞社。〕。朝崎郁恵のライブに企画参加もしている。奄美の太鼓「ちぢん」を多数保有。奄美のハブ皮を巻いたオリジナルのドラムスティックを制作し、原ハブ屋奄美公認「はぶ大使」と呼ばれている。 *スキンヘッドで、温和な顔立ちのため、映画『一遍上人』では僧侶の役で出演。奈良県などに行くと、実際に僧侶と勘違いされて手を合わされることがあるという。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「スティーヴ エトウ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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