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ステシコロス(, , 紀元前7世紀 - 紀元前6世紀〔英語版、ギリシア語版では紀元前640年 - 紀元前555年。ドイツ語版では紀元前630年頃 - 紀元前556年頃と、ばらつきがある。〕)は、古代ギリシアの抒情詩人である。ステーシコロスと長母音表記されることもある。シケリアのヒメラ(:en:Himera)の出身。 「ステシコロス」という名前は、「コロスを立てた者」という意味である。ヘレニズム時代のアレクサンドリアの学者たちはステシコロスを9歌唱詩人の1人とした。他の8詩人同様、ステシコロスの作品のほとんどは失われているが、断片や、後世の著作での引用や説明を通じて、現代でも知られている。 == 概要 == トロイア戦争を扱ったいくつかの詩がステシコロスの作品と考えられ、他にも、アイスキュロスの『オレステイア』はステシコロスの同名作品の影響を受けたものだと信じられている。また怪物ゲリュオンについての詩も断片が残っていて、12の功業の10番目の命令として、ゲリュオンの赤い牛を盗むことになったヘラクレスがゲリュオンを倒す、という内容である。 ステシコロスはまた、そのパリノード(パリノーディアー、改詠詩)と、それを取り巻く伝説でも有名である。伝えられるところでは、ステシコロスはヘレネとトロイア戦争の伝統的な物語について否定的な詩を書いたところ、たちまち盲目になってしまった。そこでヘレンについての非難を撤回するパリノードを作ったら、奇跡的に視力が戻った、ということである。以降、ステシコロスは本当のヘレネはエジプトに残り、その父ゼウスが作った幻がトロイアに行ったという考えを推し進めた。プラトンは『パイドロス』の中でステシコロスのその断片の出だしを書いて現在に伝えている。「その話は真実にあらず/汝ヘレネはよく漕ぎ進む船には乗らず/汝トロイアの町にも行かず」〔プラトン『パイドロス』243b .〕。 一般に、ステシコロスの作品はホメロスの作品と密接に対応していると言われている。ステシコロスは叙事詩的なテーマを好んだが、ホメロスと違い、性愛詩で有名である。アテナイオスは、ステシコロスの恋愛歌は有名で、パイデイア(paideia)とパイディカ(paidika)として知られる種類のもの、すなわち少年愛の歌だったと言及している〔Percy, pp.167-168〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ステシコロス」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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