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ステチュツィ
ステチュツィ ''Stećci'' (単数: ''Stećak'' )はボスニア・ヘルツェゴビナや中世にボスニア王国の領域であったクロアチア(ダルマチア)、モンテネグロ、セルビアとボスニア・ヘルツェゴビナの国境付近に散在する巨大な中世の墓碑である。現代のボスニア・ヘルツェゴビナ国内ではおよそ6万が、クロアチアやセルビア、モンテネグロでは1万のステチュツィが発見されている。ステチュツィが現れ始めたのは11世紀のことで、これらがピークを向かえたのはオスマン帝国の支配により消える以前の14世紀や15世紀のことであった。ステチュツィの墓碑は中世のボスニア王国や当時異端とされていたに属していた。ステチュツィの墓碑のエピタフ(墓碑銘)には(ボサンチィツァ"Bosančica" )が記され、文字はボスニア教会のコミュニティで広く使われていた。ステチュツィの最大のコレクションはヘルツェゴビナの町近くのにある。 ステチュツィは2009年にユネスコの世界遺産の4ヵ国による共同文化遺産リストに推薦された。〔 == 語源 == ステチュツィ自体は古い語である''stojećak''の前置詞と冠詞の縮約の形で動詞のstajati(立っている)からで、文字通り「立っている物」と言う意味になる。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ステチュツィ」の詳細全文を読む
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