翻訳と辞書
Words near each other
・ ステファン・チェロノ
・ ステファン・ティモシェンコ
・ ステファン・ディアガナ
・ ステファン・デュシャン
・ ステファン・デ・フライ
・ ステファン・トシェフ
・ ステファン・トレノー
・ ステファン・トン
・ ステファン・ドゥシャン
・ ステファン・ドナルドソン
ステファン・ドラグティン
・ ステファン・ドルフリンガー
・ ステファン・ドンプ=ビェルナツキ
・ ステファン・ナイラント
・ ステファン・ニクレスク
・ ステファン・ニストランド
・ ステファン・ニムケ
・ ステファン・ニーメントウスキー
・ ステファン・ネマニッチ
・ ステファン・ネマニャ


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

ステファン・ドラグティン : ミニ英和和英辞書
ステファン・ドラグティン[てふ]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

テフ : [てふ]
 (n) TeX, (n) TeX

ステファン・ドラグティン : ウィキペディア日本語版
ステファン・ドラグティン[てふ]

ステファン・ドラグティン(、? - 1316年3月12日)は、13世紀から14世紀にかけてのセルビア人君主。存命中にセルビア王(在位1276年 - 1282年)、スレム王(在位1282年 - 1316年)の地位に君臨していた。
== 生涯 ==

=== セルビア王即位と譲位まで ===
セルビア王ステファン・ウロシュ1世の長子として生まれ、アンジュー家出身の王女を母に持つ。1268年頃に、ハンガリー王イシュトヴァーン5世の娘であるを妻に迎えた。
セルビア内の親ハンガリー派の指導者的存在であり、そのために父ウロシュ1世と対立した。1276年にハンガリー王国の支援を受けて反乱を起こし、ガツコでの戦いの後にセルビア王位を奪い取った。即位後、ビザンツ帝国への攻撃を開始するが、成果は無かった。
1282年に狩猟中に脚を負傷し、健康を害する。協議の結果、セルビア王位にはドラグティンの弟のステファン・ウロシュ2世ミルティンが新たに就き、退位した彼はセルビア北部の領地を有することになった。子のヴラディスラフ(後のスレム王)がハンガリー王家の王女と結婚した後、1284年にハンガリー王ラースロー4世よりベオグラードマチュヴァを獲得した。晩年にボスニア王国バン・と婚姻関係を築いた後には、トゥズラなどのボスニア方面の領土を獲得した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ステファン・ドラグティン」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.