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ステフォン・マーブリー : ミニ英和和英辞書
ステフォン・マーブリー[ちょうおん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

テフ : [てふ]
 (n) TeX, (n) TeX
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ステフォン・マーブリー : ウィキペディア日本語版
ステフォン・マーブリー[ちょうおん]

ステフォン・マーブリーStephon Xavier Marbury, 1977年2月20日 - )は、アメリカ合衆国バスケットボール選手。中国プロバスケットボールリーグ (CBA) の北京ダックスに所属している。188cm、93kg。ポジションはポイントガードシューティングガードニューヨーク市ブルックリン区出身。愛称は「Starbury(スターブリー)」(ただし、NBA生活での晩年はブーイングの意味が込められた「Boo-bury(ブーブリー)」と揶揄されることもあった)。従兄弟はセバスチャン・テルフェアである。
==経歴==
ジョージア工科大学在学中に1996年のNBAドラフトにアーリーエントリーし、ミルウォーキー・バックスから全体4位の指名を受けたが、直後にミネソタ・ティンバーウルブズが5位で指名したレイ・アレンとの交換トレードが成立し、キャリアがスタートした。
初年度となる1996-1997シーズンから67試合に出場し、1試合平均15.8得点、7.8アシストの好成績を残し、NBAオールルーキーファーストチームに選出される。その後1998-1999シーズンの途中までウルブズでプレーするが、チームメイトのケビン・ガーネットの高額契約に嫉妬し1998-1999年シーズン中にバックス、ニュージャージー・ネッツとウルブズの3チームで行われたトレードでネッツに移籍した。
ネッツでは得点能力を発揮させ、1試合平均23.4得点をマークし、1999-2000、2000-2001シーズンも22.2得点・8.4アシスト、23.9得点、7.6アシストという成績を残すが、チームをプレーオフへ導けず、2000-2001シーズン終了後フェニックス・サンズへ放出された。
サンズでも毎シーズン個人成績は20得点・8アシスト以上の成績を残すが、チームは2003年にプレイオフに進出したのみ(1回戦敗退)の成績に終わり、2003-2004シーズン中に自己3回目のトレードでニューヨーク・ニックスへと移籍した。
ニックスは2005-2006シーズン前にHCにラリー・ブラウンを招聘するなどしたが、チームケミストリーの崩壊、マーブリーとブラウンの衝突などもあり、2004-2005、2005-2006シーズンともアトランティック・ディビジョン最下位に沈んだ。HCがブラウンからアイザイア・トーマスに交代してからはチームの空中分解の度合いはより深刻化し、マーブリー自身も2007年11月13日のフェニックス・サンズ戦でスターターから外される事を知ると、試合前に突如チームから離脱しニューヨークに帰ってしまった。マーブリーは後日、チームから18万ドル超の罰金を科された。マーブリーは2007-2008シーズン途中で左足首骨棘の手術を受け、このシーズン結局24試合の出場にとどまり、得点・アシストともにキャリア最悪の数字に終わった。
オフにはトーマスにかわってマイク・ダントーニがヘッドコーチに就任。ニックスの再建に期待が掛かるダントーニがマーブリーをどのように起用するか注目が集まったが、ダントーニは当時チーム一の高級取りだったマーブリーを開幕から一切起用しないという荒療治を選択。マーブリーとチームの関係は極端に悪くなり、バイアウト交渉もなかなか纏まらなかったが、2008-2009シーズン3月にようやくバイアウトで合意。その後ボストン・セルティックスと契約。シーズン終了後にはFAとなったが、NBAチームと契約することはなかった。
2010年1月、CBA所属の山西ドラゴンズに入団し、15試合に出場した。7月29日、チームとの3年の契約に合意した〔S・マーブリー、更に3年中国でプレイすることを決意 nba.co.jp 2010年7月30日〕。
その後北京ダックスに移籍し、2014年と2015年にCBA優勝を経験した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ステフォン・マーブリー」の詳細全文を読む




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