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ステュアート王朝 : ミニ英和和英辞書
ステュアート王朝[あさ, ちょう]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

アート : [あーと]
 【名詞】 art
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
: [おう]
  1. (n,n-suf) (1) king 2. ruler 3. sovereign 4. monarch 5. (2) king (for senior player) (shogi) 
王朝 : [おうちょう]
 【名詞】 1. dynasty 
: [あさ, ちょう]
 (n-adv,n-t) morning

ステュアート王朝 ( リダイレクト:ステュアート朝 ) : ウィキペディア日本語版
ステュアート朝[すてゅあーとあさ]
ステュアート朝( または )は、1371年から1714年まで続いたスコットランド起源の王朝1603年以後はイングランド国王を兼ねて同君連合体制となり、1707年グレートブリテン王国イギリス)を成立させた。「ステュアート」は、スコットランド語宮宰()に由来する。メアリー女王のとき綴りをからに改めた。

==スコットランド王朝時代==

存在が知られているステュアート家の最も古い祖先はフランスのブルターニュ地方のブリトン人小貴族フラールド(Flaald, ? - 1099年)で、孫のフラールド2世がヘンリー1世に従ってイングランドに移住した。その孫のウォルター・フィッツアラン(? - 1177年)は、イングランドの無政府時代女帝モードを支持し、その叔父であるアサル家のスコットランド王デイヴィッド1世に仕えて王室執事長(Lord High Steward)に任命された。この地位は世襲され、ステュアートが家名となる。第6代執事長のウォルター・ステュアートがブルース家のロバート1世の娘マージョリーと結婚したことによって、スコットランド王室に連なった。
1371年デイヴィッド2世が没してブルース家が断絶すると、ウォルターとマージョリーの息子ロバートがロバート2世として即位し、ステュアート朝が始まり、以降、ロバート3世からジェームズ6世まで、続いて計8人がスコットランド王として統治した。多くの王が幼少にして即位したこともあり、有力貴族間の政争や貴族との対立に巻き込まれ、王が殺害・連行される事態が相次いだ。対外的には、イングランドとはおおむね険悪な関係で、同盟国フランスを巻き込んでしばしば戦いがおこった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ステュアート朝」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 House of Stuart 」があります。




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