|
シモン・ステヴィン(Simon Stevin、1548年 - 1620年)は、フランドル(現:ベルギー)ブルッヘ出身の数学者、物理学者、会計学者、オランダ軍主計将校〔ステヴィンはオランダ人である。〕。 イタリアの天文学者、哲学者、物理学者であるガリレオ・ガリレイよりも早く落下の法則を発見し、また、ヨーロッパで初めて小数を提唱したとして名高い。また、力の平行四辺形の法則の発見者としても名高い。 == 生涯 == 若い頃のことは詳しくわかっていないが1548年にブルッヘに生まれ、ライデンで数学の教師をしていた。 1585年に著した『十進法('':en:La Thiende''または''La Disme'')』で十進数による小数の理論を提唱した。現在、19.178と表す小数を「19⓪1①7②8」のように表した。また、ステヴィンは他にも加算や減算を表す+や-のように様々な記号を導入した。 1586年には古代ギリシアの数学者、物理学者、技術者、天文学者、発明家のアルキメデスの研究を発展させ『吊り合いの原理('':en:De Beghinselen Der Weeghconst'')』を著した。これには力のベクトル合成の理論、水圧について述べ、てこの原理の証明、数珠を用いた思考実験により永久運動の不可能と斜面の法則について証明して力の平行四辺形の法則の発見に至った。なお、『吊り合いの原理』の付録にはステヴィンが行った実験で、重さが10倍異なる2つの物体を落下させるとほとんど同時に落下すると言う実験結果が示されている。 同年『水の重さの原理(''De Beghinselen des Waterwichts'')』を著し、容器の形に関係なく水面は地球の球面と変わらず水の平衡状態に関して力の法則を導いている。 オランダ総督のマウリッツと親しくなり〔ステビン - Yahoo!百科事典、日本大百科全書、2013年1月3日閲覧。〕、1592年に運河や水門に関する工事を監督して認められて後に軍に勤務した(後述)。 1600年にはライデン大学工学部創設のための委員長となり、ラテン語ではなくフランドル語で講義を行う規定をつくった〔ステヴィンはラテン語ではなくフランドル語で大部分の論文を著している。〕。 1603年にオランダ陸軍主計総監となり、1620年に亡くなるまでその職に就いた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「シモン・ステヴィン」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Simon Stevin 」があります。 スポンサード リンク
|