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ストーニーポイントの戦い : ミニ英和和英辞書
ストーニーポイントの戦い[すとーにーぽいんとのたたかい]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
: [いくさ]
 【名詞】 1. war 2. battle 3. campaign 4. fight 
戦い : [たたかい]
 【名詞】 1. battle 2. fight 3. struggle 4. conflict 

ストーニーポイントの戦い : ウィキペディア日本語版
ストーニーポイントの戦い[すとーにーぽいんとのたたかい]

ストーニーポイントの戦い()は、アメリカ独立戦争中の1779年7月15日から16日にかけての夜に、ニューヨーク、ストーニーポイントで、大陸軍イギリス軍との間に行われた戦闘である。大陸軍の選抜部隊がハドソン川岸のウェストポイント南にあったイギリス軍の防砦に協調の取れた夜襲をかけて占領した。砦の奪取は25分間で成功し、イギリス軍に歩兵1個連隊に相当するような損失を負わせた。
この砦はハドソン川を渡すための重要な渡河点だったが、占領の3日後には放棄された。イギリス軍上層部はその年後半に、砦の位置が防衛し難いものであると判断し、これを守ることを諦めた。この渡河点はその2年後、ヨークタウンに進軍する大陸軍が使用した。
== 背景 ==

1777年10月のサラトガの戦いでイギリス軍ジョン・バーゴイン将軍が降伏し、その後にフランスがアメリカの同盟国としてアメリカ独立戦争に参入した後、イギリス軍の対アメリカ戦略は変わらざるを得なかった。北部では経済や軍事の拠点に対する襲撃に縮小し、ジョージ・ワシントンの大陸軍を決戦の場に引き出すことが戦略となった。しかし、ワシントンはイギリス軍が本拠とするニューヨーク市周辺の防御が強化された陣地にその軍隊を配置し、それ以上は出て来ようとはしなかった。
1779年のイギリス軍の作戦は大きな野望があったが結局は損なわれた。北アメリカ総司令官ヘンリー・クリントン中将の意見では兵力が不足しており、作戦のために約束されていたはずの援軍の到着が遅れた。クリントンはニュージャージー北部ミドルブルックにあった大陸軍宿営地を弱体化させたうえで、ニューヨーク市から侵攻してそこを奪おうと考えた〔Johnston, pp. 27–32〕。これが成功すればワシントンの補給線に脅威を与え、会戦を行うとすればより適した地形であるハドソン川岸沿いの高原に大陸軍を引き出すことができると考えた〔Johnston, p. 44〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ストーニーポイントの戦い」の詳細全文を読む




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