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ストーンコールド・スティーブ・オースチン : ミニ英和和英辞書
ストーンコールド・スティーブ・オースチン[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ストーンコールド・スティーブ・オースチン ( リダイレクト:ストーン・コールド・スティーブ・オースチン ) : ウィキペディア日本語版
ストーン・コールド・スティーブ・オースチン[ちょうおん]

ストーン・コールド・スティーブ・オースチンStone Cold Steve Austin1964年12月18日 - )は、アメリカ合衆国の元プロレスラー俳優。元WWE所属。テキサス州オースティン生まれ。以前の本名はスティーブ・ウィリアムスであったが2007年に本名もスティーブ・オースチンSteve Austin)と改名した。
テキサスのガラガラ蛇Texas Rattlesnake)、最凶のタフ野郎Toughest Son Of a Bitch)など数々の異名を持つ。SCSAと略されることもある。
1990年代後半を代表するスーパースターであり、WWEアティテュード路線時代の象徴レスラーである。パンチを連打する荒くれ者としてのイメージが強いが、実際はリング上でのテクニックも非常に高い。新日本プロレスに初来日した際にはストロングスタイルにも柔軟に対応してみせた。現在は事実上引退しており、映画俳優としての活動を行っている。
== 来歴 ==
出生名はスティーブン・ジェームズ・アンダーソン(''Steven James Anderson'')、後に両親が離婚し、母親の再婚によりウィリアムス姓となる〔Austin, Steve; Ross, Jim (2003). The Stone Cold Truth.〕。高校、北テキサス州立大学(現:北テキサス大学)ではフットボールの選手として活躍し、学業も優秀であったが、研究論文の作成に嫌気がさし大学を卒業間近で中退。その後貨物会社に就職するが2年で退社し子供の頃夢中になっていたプロレスラーを志す。
ダラスクリス・アダムスの指導を受け、1989年に本名のスティーブ・ウィリアムスの名でデビュー。USWAでは、師匠のクリス・アダムスと抗争を展開していた。後に実生活でクリス・アダムスの妻ジニー・クラーク(レディ・ブロッサム)と結婚している。当時USWAにドクター・デスのニックネームで知られる同名のレスラースティーブ・ウィリアムスがいたために、リングネームをテキサス州都のオースティンに因み、アメリカの人気テレビドラマシリーズ『600万ドルの男』の主人公の名前でもあったスティーブ・オースチンに変更。しかしレスラーとしてなかなか成功しなかったため、これまでのベビーフェイスからヒールに転向し、"スタニング" スティーブ・オースチンのリングネームで活動した。
その後の活躍が認められ、1991年ダスティ・ローデスにスカウトされてWCWと契約。1993年にはブライアン・ピルマンとのタッグチーム「ハリウッド・ブロンズ」を結成し、3月にリッキー・スティムボート&シェーン・ダグラスからWCW世界タッグ王座を奪取した。1992年には新日本プロレスに初来日し、G1 CLIMAXに参戦。2回戦で武藤敬司に敗れるも、放送席にいたマサ斎藤はオースチンの技術を高く評価し、「彼はプロレスが上手い。絶対にトップに立てますよ」と絶賛していた。同年9月の再来日では蝶野正洋の持つNWA世界ヘビー級王座にも挑戦。なお、この試合で蝶野の首を破壊しているがその方法は怪我の危険性が非常に高い変形のパイルドライバーだったため日本人レスラーや関係者の顰蹙を買った。
ピルマンとのタッグ解散後はシングルプレイヤーとしてもUS王座、TV王座も獲得し活躍したが、1995年の日本ツアー中の新日本プロレスでの試合で上腕三頭筋を負傷し故障するとWCWの副社長エリック・ビショフは早々とオースチンを解雇。その後はWCW時代のマネージャーでもあったポール・ヘイマンに誘われECWに3か月間スポット参戦し、WCW時代のハルク・ホーガンやビショフへの鬱憤を爆発させて存在感を発揮、持ち前の技術でECW王座戦線にも絡む活躍を見せた。トレードマークのスキンヘッドは実はこの時代に始まっている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ストーン・コールド・スティーブ・オースチン」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Stone Cold Steve Austin 」があります。




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