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スノードン登山鉄道(、略:SMR、)は、北西ウェールズのグウィネズにある狭軌のラック式鉄道である。スランベリスから、ウェールズ最高峰であるスノードン山の頂上までの4.7マイル(7.5km)を結ぶ観光鉄道である。 スノードン登山鉄道は、イギリスで唯一の一般に乗車できるラック式鉄道であり、開業から100年以上も人気の観光地であり続けている。路線はイギリスのいくつかの観光地を経営するHeritage Great Britain PLC により運営される。 スノードン登山鉄道はイギリスでもっとも厳しい気象状況の中で運行されることから、悪天候の中では登頂のサービスが省略される。1両の客車が蒸気機関車またはディーゼル機関車により推進される。以前は動力分散方式の気動車が使用されたこともあった。 スノードン登山鉄道はウィルバート・オードリーによる汽車のえほんシリーズの中の山にのぼる機関車のカルディー・フェル登山鉄道のモデルとなっている。この絵本は、テレビ番組きかんしゃトーマスの原作であるが、カルディー・フェル登山鉄道はテレビシリーズには登場していない。 == 歴史 == === 建設 === スノードン山頂までの鉄道についての構想は、ロンドン西北鉄道によってスランベリスとカーナーヴォンが結ばれた1869年に初めて提案された。しかし、地元の地主であるアシュトン・スミスは、鉄道が景観を損なうと考えたため、何の行動もとらなかった。 北ウェールズ狭軌鉄道のリード・ジー駅からスノードン山頂への鉄道の建設計画によりスランベリスが観光収入を失うおそれが出てきたため、''Snowdon Mountain Tramway and Hotel Company ''が鉄道建設のために設立された。まだ地域の主要地主であったアシュトン・スミスはその会社では大きな影響力はなかった。路線が完全に会社が得た私有地に建設されたので、強制収用の必要は無く、議会の決議も必要無かった。これは、旅客鉄道としては珍しく、また、この鉄道が商務省管轄下に属さないことも意味した。 登山鉄道は、1894年12月にエニド・アシュトン・スミス(のちに2号機関車に命名された)により着工され、1896年2月までに63,800ポンドの費用をかけて建設された。1895年4月までに土木工事の50%が完成し、路線上で不足している土木工事と建設工事に注力された。 線路の敷設は、ラックレールが正しくかみ合うために路線の一端から順次はじめられた。最初の機関車は1895年7月に搬入されたが、スランベリスと滝の間の2つの大きな高架橋が完成した1895年8月になっても線路はほとんど敷設されていなかった。その後は、必要な資材を機関車で運搬することにより、山へ向けて非常に早く建設が進んだ。吹きさらしの場所と悪天候の影響を考えると、1896年1月に最初の列車が山頂に到着したのは驚くべきことであった。その時点では柵と信号の準備ができていなかったため、開業式はイースターに設定された。 路線は1896年のイースターに開業した。これを見越して、商務省のフランシスマリンデン卿大佐が3月27日に路線の非公式な点検を行った。これには自動ブレーキの実証を含んでいた。大佐は路線に満足していると述べたが、風速を計測・記録し、風が非常に強い時は列車を止めるように勧告した。 4月4日に機関車と2両の客車による列車が業者により運転された。最後の区間で、登坂中の列車が切り通しからの落石に衝突し数輪が脱線した。列車に乗っていた作業者により復線し、そのまま運転を続けた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「スノードン登山鉄道」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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