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スノー・キャンペーン : ミニ英和和英辞書
スノー・キャンペーン[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

スノー・キャンペーン : ウィキペディア日本語版
スノー・キャンペーン[ちょうおん]

スノー・キャンペーン()は、アメリカ独立戦争開戦後の南部植民地では最初の大がかりな軍事作戦である。リチャード・リチャードソン大佐の下に集まった3,000名にも昇る愛国者民兵隊が、サウスカロライナ植民地ロイヤリスト民兵徴募拠点に行軍してこれを四散させ、ロイヤリストが組織化しようとしていた妨害行為を阻止した。この愛国者民兵隊の遠征は、その後半に激しい降雪があったのでスノー・キャンペーンと呼ばれるようになった。
== 背景 ==

1775年4月にアメリカ独立戦争がマサチューセッツ湾植民地で始まったとき、サウスカロライナ植民地の自立した民衆はそれへの対応で2つに分かれた〔Alden, pp. 199–200〕。海岸部に住んでいたイギリス系住民の多くは中立を採るか、反乱側を支持し、田園部に住んでいたかなりの数の住人は、その多くがドイツ系やスコットランドからの移民であり、反乱に反対の立場を採った〔Alden, pp. 7, 9, 199–200〕。田園部のロイヤリストを指導したのがトマス・フレッチオールであり、英国王および議会に抵抗しようという愛国者側に対抗する声高き活動家だった〔Krawczynski, p. 156〕〔Alden, p. 200〕。1775年8月までに植民地内の愛国者とロイヤリストの間に生じた緊張関係は、双方がかなりの勢力の民兵隊を立ち上げるまでに高まっていた〔Cann, p. 204〕。
それまで起きた事件はほとんど暴力を伴わないものであり、リンチのような孤立した事例があるだけだったが、双方は弾薬の支配を巡って緊張感を高めていた。8月初旬に植民地安全委員会がウィリアム・ヘンリー・ドレイトンとウィリアム・テネント牧師をナインティシックスの町に派遣し、田園部での愛国者の支援を糾合し、成長しつつあったロイヤリスト勢力を抑圧しようした〔Dunkerly and Williams, p. 21〕。ドレイトンは9月にフレッチオールと交渉して、一時的な休戦を取り付けることができた〔Krawczynski, pp. 186–189〕。
9月15日、愛国者側民兵隊がチャールストン港を見下ろす重要な砦であるジョンソン砦を占領した。植民地総督のウィリアム・キャンベルは植民地議会を解散させ、自らの安全が脅かされることを怖れて、イギリス海軍のスループ・オブ・ウォーHMS''タマー''に逃げ込んだ。このことで愛国者側が支配する安全委員会が植民地の首都を抑えた〔McCrady, pp. 68–69〕。委員会はチャールストン港岸の防御を改良し拡張し始めた。11月11日と12日には愛国者の陣地と港に浮かぶイギリス海軍艦船の間で砲撃戦が行われたが、双方に被害は出なかった〔McCrady, p. 77〕。
10月に安全委員会がチェロキーインディアンに届けることを意図した火薬と銃弾の積荷をロイヤリストが捕獲したことに反応して、大規模な部隊の編成を始めたときに、事態は悪化していった〔Cann, p. 207〕。11月8日、カムデン民兵隊の指揮官リチャード・リチャードソン大佐を派遣することを決め、積荷を取り返し、ロイヤリスト指導者を逮捕させることにした〔Cann, p. 212〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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