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Spy vs. Spy(スパイ・バーサス・スパイ)は、アメリカのコミック・ストリップ。ECコミックにより1961年1月に刊行されたMAD60巻が初出である。当初は白黒の漫画として出版された。漫画はAntonio Prohías (en) による。 このSpy vs. Spyのキャラクターは、テレビアニメシリーズや、アクションフィギュア、トレーディングカード、テレビゲームなどの商品に採用されている。 == 制作背景 == Prohíasはキューバの多作の漫画家で、政治に対する風刺で知られていたが、新進の独裁者であるフィデル・カストロに対する風刺が批判を招き、仕事の喪失、逮捕の可能性、処刑の恐怖に直面した彼は、カストロが報道の自由を奪う3日前であった1960年3月1日にアメリカに亡命した。Prohíasは彼の専門を生かせる仕事を探して同年7月12日にニューヨークにあるMADのオフィスを訪ね、彼の作品やSpy vs. Spyの原形を見せたところ功を奏し、彼は雇われ人となった〔"Spy vs. Spy: The Complete Casebook", Prohías, A. Watson-Guptill, 2001〕。 ProhíasはMADにのべ241の漫画を投稿し、最後の作品は269号(1987年3月)所載である。彼はこっそりとそれぞれの漫画の一コマ目にモールス符号を用いて"BY PROHIAS"と記している。1983年のマイアミ・ヘラルドのインタビューで彼は自身の経歴を振り返り、「最も甘い復習の味は、フィデルの私に対するスパイ呼ばわりから逃れたことで、儲かるヤマに当たったことだ」と述べた〔。しかしながら、ProhíasはMADの経営者であるWilliam Gaines (en) により少なくとも一度検閲を受けている——最終的にMAD84号(1964年1月)に載った漫画は、スパイたちが飲酒や喫煙をしているという理由で変更させられたのである(Gainesは過激な嫌煙家だった〔)。 彼は病いのため引退し、1998年2月24日に77歳で亡くなった〔。漫画は継続し、Duck Edwing (en) のプロット、Bob Clarke (en)の作画によりその多くが制作されている。MAD356号では、Peter Kuper (en)がプロット・作画を引き継いでいる。 ピューリッツァー賞を受賞している漫画家アート・スピーゲルマンは、「作品が出版されることは若き漫画家にとってとても重要であり、私のキャリアを踏み出す後押しをしてくれたAntonio Prohíasに何か礼がしたい」と述べた〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「Spy vs. Spy」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Spy vs. Spy 」があります。 スポンサード リンク
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