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スピンルーニー : ミニ英和和英辞書
スピンルーニー[すぴん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

スピン : [すぴん]
 spin
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

スピンルーニー ( リダイレクト:ブッカー・T (プロレスラー) ) : ウィキペディア日本語版
ブッカー・T (プロレスラー)[ぶっかーてぃー]

ブッカー・TBooker T)のリングネームで知られるブッカー・ハフマンRobert Booker Tio Huffman Jr.1965年3月1日 - )は、アメリカ合衆国プロレスラーテキサス州ヒューストン出身のアフリカ系アメリカ人
WCWWWETNAの各団体において黒人選手のトップスターとして活躍。マイクパフォーマンスにおいても数々の決め台詞が存在する。
== 来歴 ==
17歳の時にウェンディーズに強盗に入り逮捕されるも、19か月間の懲役を経て更生し、イワン・プトスキープロレスリング・スクールに入門、スコット・ケーシーのトレーニングを受け1989年にデビューを果たした。1992年よりダラスのインディー団体GWF(グローバル・レスリング・フェデレーション)に加入。実兄スティービー・レイとのタッグチームエボニー・エクスペリエンスThe Ebony Experience)を結成してGWFタッグ王座を獲得。同年10月、ケンドー・ナガサキこと桜田一男が主宰していたNOWにレイとのタッグで初来日(名義はブラック・ボンバーズ)、翌1993年3月には単独で参戦している〔『THE WRESTLER BEST 1000』P230(1996年、日本スポーツ出版社)〕。
1993年6月にWCWに登場。同時にチーム名をハーレム・ヒートHarlem Heat)に改め、以後1999年にかけて、WCW世界タッグ王座を10回に渡って奪取する活躍を見せた。マネージャーにはWWFから移籍してきたシスター・シェリー(センセーショナル・クイーン・シェリー)がついていたことがある。
1995年11月、当時WCWと提携していた新日本プロレスに単独で来日。翌1996年3月にはスティービー・レイとのハーレム・ヒートとして参戦し、名古屋橋本真也&平田淳嗣IWGPタッグ王座にも挑戦した〔『新日本プロレス 来日外国人選手 PERFECTカタログ』P48(2002年、日本スポーツ出版社)〕。
1997年下期からはシングル・プレイヤーとして活動し、1998年にはクリス・ベノワWCW世界TV王座を巡り抗争を展開。2000年にはジェネラル・レクション率いるミスフィッツ・イン・アクションに加入し、GWF時代に一時使っていた軍人ギミックG.I. Broというキャラクターに変身したこともある〔〔。
以後、ハーレム・ヒートの再結成・再解散を経て、同年7月9日の『バッシュ・アット・ザ・ビーチ』にてジェフ・ジャレットからWCW世界ヘビー級王座を奪取。以降はWCWの主役級のポジションを獲得し、スティングゴールドバーグケビン・ナッシュスコット・スタイナーといった大物達から白星を挙げ、WCW世界ヘビー級王座にも通算5回(うち2回はWWF版)戴冠している。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ブッカー・T (プロレスラー)」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Booker T (wrestler) 」があります。




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