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スプリングゲントは日本の競走馬。2006年から障害競走に転向して6連勝、その後2009年の中山グランドジャンプに優勝した。 == 戦績 == 2002年12月、阪神競馬場の新馬戦(芝1600メートル)でデビューし3着。3戦目で未勝利を勝ち上がるもその後は低迷。芝、ダート、短距離、長距離とさまざまな条件のレースに出走し続けたが、2006年を迎え6歳となった段階でまだ1000万円以下条件をウロウロしていた。 同年2月の1000万円以下条件で8着と敗れたところで陣営は平地に見切りをつけ、障害へと転向となる。すると成績は一転し、障害未勝利を楽勝したのを皮切りに障害オープンを2連勝、さらに京都ジャンプステークスで障害重賞初制覇となる。 続く東京ハイジャンプではテレジェニック、マイネルオーパーら障害の実績馬相手に勝利を収め、京都ハイジャンプでは2着に8馬身差で逃げ切り重賞3連勝を果たした。なお、京都ハイジャンプの勝利で小坂忠士騎手は2006年の障害重賞5勝目をあげ年間障害重賞最多勝利記録を更新した。これで障害6連勝となり年末の中山大障害にも期待が持たれたが、レース後右前浅屈腱炎を発症し長期休養を余儀なくされる。 その後、2008年9月に帰厩。平地を2戦使い中山大障害に出走。単勝4番人気に支持され、レースでは3番手を追走して最後の直線に向かったがキングジョイなどに次々と差され、4着と障害競走では初めての敗戦となった。 2009年の初戦は阪神スプリングジャンプに出走し、落鉄しながらもトーワヒヨシマルにクビ差の2着となった。そして迎えた大一番、中山グランドジャンプでは中団を追走して2周目の3コーナー向正面で1番人気のキングジョイとともに抜け出し、最後の直線でのマッチレースを制し、2度目の挑戦で初めてJ・GI競走を制覇した。しかし、10月21日に左前浅屈腱炎を発症したことが発覚。長期休養を余儀なくされた〔。 2011年12月3日の平地競走で復帰したが16着。続く中山大障害では2番手追走も2周目3コーナーで一杯になり5着、レース中に左第1指骨剥離骨折を発症したことが判明し3か月以上の休養を要する見込みとなった。 2012年12月の平地競走で復帰し15着。中山大障害では終始2番手から最終障害を超えたところで先頭に立つものの、勝ったマーベラスカイザーなどにかわされ4着に敗れた。 2013年は2戦したが未勝利に終わり、12月25日付けで競走馬登録を抹消され、現役を引退した。今後は千葉県成田市の高橋牧場にて乗馬となる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「スプリングゲント」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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