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===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
スプリングフィールドM1855(Model 1855 Springfield)は19世紀中頃の米国の前装式ライフル銃。マサチューセッツ州のスプリングフィールド造兵廠で製造された。 ==概要== 初期のマスケット銃は、ほとんどがフリントロック式の滑腔銃であった。1840年代になって、フリントロック式はより信頼性が高く、悪天候に強い雷管式に置き換えられた。滑腔銃身と正確さに欠ける球形弾も、ライフル銃身と新たに発明されたミニエー弾に置き換えられた。これにより、有効射程はマスケット銃の50ヤードに対して、ライフル銃では数百ヤードまで伸長した。M1855の有効射程は500ヤードであり、最長射程は1000ヤードを超えた〔Pritchard, 2003〕 M1858は.58口径であり、それ以前のマスケットよりも小径になった。スプリングフィールドM1816からM1842に至る米国の一連のマスケット銃は全て.69口径であったが、アメリカ陸軍による試験の結果、ミニエー弾を使用した場合には.58口径の方がより命中精度が高かった。 M1855はまたメイナード式テープ雷管を採用したが、これは従来の銃用雷管の改良を試みたものであった。発射毎に雷管をセットするのではなく、メイナード式では撃鉄を起こすと自動的にテープが巻き取られ、そこに組み込まれた雷管がセットされた。子供用の巻玉鉄砲と同じ原理である。 ミニエー弾と装薬は銃口から手動で装填する必要があったが、テープ雷管の使用により雷管のセット時間が省略できるために、その分射撃速度が向上すると期待された〔Coggins, 2004〕。テープ雷管の使用によりM1855は撃鉄の下に得的なコブを持つこととなった。テープ雷管が入手できなかった場合に備え、通常の雷管も使用できるようになっていた。 しかしながら、戦場で使用においてはテープ雷管は信頼性に欠けることが判明した。1859年から1861年にかけて実施された試験においては半分が不発であり、またテープ雷管用のバネにも問題がありテープの巻き取りが上手くいかないことも判明した〔Worman, 2005〕。最大の問題はテープそのものにあった。防水と宣伝されていたものの、紙テープは湿気に対して敏感であった。この問題のためにテープを金属箔とする試みもなされたが、結局軍需省はテープ雷管を諦め、次のモデルであるスプリングフィールドM1861では通常の雷管に戻した〔"Pauly, 2004〕 約60,000丁のM1855が製造された〔Pritchard, 2003〕 M1855の製造は1860年まで続けられ、南北戦争前の歩兵の標準装備として採用された。南北戦争勃発後には膨大な兵器の需要に応えるため、テープ雷管を廃止し、またいくつかの改良を行うことによって、より安価にかつ製造しやすいモデルが設計された。これがおなじみのM1861である。戦争勃発時にはM1855が最良の小銃であり、M1861の十分な供給が開始されるまでには時間がかかった。このため、戦争終了までM1855は北軍で使用されただけでなく、南部の軍需倉庫に数千丁の在庫があったため、南軍においても使用された〔Coggins, 2004〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「スプリングフィールドM1855」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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