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===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
スプリングフィールドM1861は南北戦争中にアメリカ陸軍(北軍)及び海兵隊が使用したミニエー形式のライフル・マスケットである。製造場所であるマサチューセッツ州スプリングフィールドにちなんで、「スプリングフィールド」と一般に呼ばれている〔Brown P.401 〕。南北戦争中に、北軍で最も多く使用された小銃であり、その射程、正確さ、および信頼性から好まれた。 ==概要== 以前のモデルであるM1855との特筆すべき差は、M1861ではメイナード・テープ式雷管(Maynard tape primer)の使用を取りやめたことである(自動巻き取り型のテープ式雷管は悪天候時の信頼性に欠け、製造に時間・コストがかかった)。さらにM1855と異なり、M1861では2バンド型(銃身と銃床を2個のバンドで固定する)は採用されなかった。 M1861は、持ち上げ式のリーフ式照門を採用した。2つのリーフがあり、片方は300ヤードに、もう片方は500ヤードに調整されており、両方を下げた場合は100ヤードに調整された。南軍が用いたイギリス製の1857年型エンフィールド銃は、ラダー式照門を使用しており、100ヤードから400ヤードまで、100ヤード刻みに調整でき、さらに照門を持ち上げると500ヤード以上に調整できた。エンフィールドの方が細かく照準を合わせることができるが、スプリングフィールドの単純な照門はより丈夫で、また製造コストも安かった。エンフィールドの照門は900ヤード(後のモデルではそれ以上)まで設定されており、500ヤードまでしかないスプリングフィールドより長かったが、実際の戦場では600ヤード以上離れた目標に命中させることは、どちらの銃を用いても運以外のものではなかった。照門の構造は違ったが、その他の点では2つの銃は類似しており、有効射程も似たようなものであった。 M1861のコストは、スプリングフィールド造兵廠で製造された場合は$20であった。需要が多かったため、民間の契約20業者も製造を担当した。M1861の製造業者で最も著名なのはコルト社で、いくつかの自社独自のマイナーチェンジモデルも製造し、「コルト・スペシャル」ライフル・マスケットと呼ばれた。変更点としては、銃身固定バンド、新型の撃鉄、新設計のボルスターがある。これらの変更は造兵廠でも採用され、スプリングフィールドM1863に取り入れられた。 M1861は三角型のスパイク型銃剣が装着できた。 訓練された兵ならば、500ヤードの距離である程度狙いをつけても、1分間に3発程度の発射が可能であったが、戦場での射撃距離はしばしばこれより短かった〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「スプリングフィールドM1861」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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