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スベトラーナ・ボギンスカヤ : ミニ英和和英辞書
スベトラーナ・ボギンスカヤ[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

スベトラーナ・ボギンスカヤ : ウィキペディア日本語版
スベトラーナ・ボギンスカヤ[ちょうおん]

スヴェトラーナ・レオニドヴナ・ボギンスカヤ(Svetlana Leonidovna Boguinskaia、1973年2月9日 - )は、ベラルーシ出身の元体操競技選手
==略歴==
もともとフィギュアスケートをやっていたが、6歳で体操を始め、8歳からモスクワで指導を受ける。
ソビエト連邦代表として、1987年世界体操競技選手権ロッテルダム)で初のメダルを獲得した。翌年のソウル五輪でも、団体総合・跳馬の優勝を含む4つのメダルを獲得。しかし、五輪終了3日後に、コーチのリュボフィ・ベガックが自殺。プレッシャーから精神的に追いつめられていたこともあり、引退してしまう〔1996年7月26日 朝日新聞「人形 氷のような女王に笑顔」〕。
翌1989年に代表復帰。1989年世界体操競技選手権シュトゥットガルト)では、ついに個人総合優勝を果たす。1990年の欧州選手権では、個人全種目で優勝。体操選手としてはやや長身かつ女性らしい体型で、小柄で痩身の選手が活躍する時代にあって、優美で艶やかな演技に定評があった〔。
しかし、1991年にソビエト連邦が崩壊。翌1992年のバルセロナオリンピックには独立国家共同体(EUN)として出場し、十分とは言えない練習環境の中、ボギンスカヤもエースとして活躍。団体総合優勝10連勝〔ボイコット不参加の1984年ロス五輪を除く〕 を達成し、ソ連の有終の美を飾った。個人総合では、チームメイトのタチアナ・グツーが番狂わせ〔一カ国3人まで出場できた。予選でチーム内3位のロザリア・ガリエワが欠場し、4位だったグツーが急遽出場することになった。グツーはボギンスカヤの後継者として期待されていた。〕 で優勝。接戦の末5位に終わったボギンスカヤは、グツーを抱きしめて祝福した。
競技選手を引退し、米国でショー出演やコーチをしていた。1994年になって、テレビで体操の国際大会を「観客」の側から見て感動し、現役復帰を決意〔。ドミニク・モセアヌとともにベラ・カロリーの指導を受けた〔1996年7月10日 読売新聞「期待と興奮 アトランタ対決 世界のライバル、栄光へ闘志激突」〕。1995年世界体操競技選手権(福井県鯖江市)では個人総合16位だったが、1996年の欧州選手権個人総合で2位となった。同年のアトランタ五輪にも出場し、メダルこそ届かなかったが、個人総合で14位、跳馬で5位入賞した。
1997年に引退。2005年に世界体操殿堂入り。現在はアメリカのヒューストン在住。結婚し一男一女がある。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「スベトラーナ・ボギンスカヤ」の詳細全文を読む




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