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スペインのユーロビジョン・ソング・コンテストでは、スペインにおけるユーロビジョン・ソング・コンテストについて述べる。スペインは1961年大会で初めてユーロビジョン・ソング・コンテストに参加し、9位に終わった。1999年以降、スペインはフランス、ドイツ、イギリスとともに「ビッグ4」の1国として、準決勝に参加せずに決勝への進出が認められている。これは、4国が欧州放送連合の最大の資金拠出国であることによる。 2008年までの間に、スペインは2回の優勝を経験している。初めての優勝はマシエル(Massiel)が「La, la, la」を歌った1968年大会である。2回目はサロメ(Salomé)が「Vivo Cantando」を歌った1969年大会であり、このときはイギリスのルル(Lulu)の「Boom Bang-a-Bang」、フランスのフリーダ・ボッカラ(Frida Boccara)の「Un jour, un enfant」、オランダのレニー・クール(Lennie Kuhr)の「De troubadour」も共に同率で1位となった。スペインが大会を主催したのは過去に1969年の1回のみである。1969年は優勝者が複数でたため、1970年大会はオランダによって主催された。 ユーロビジョンの50周年記念イベント「Congratulations」において、スペインからの1973年の参加曲、モセダーデス(Mocedades)の「Eres Tu」がエントリーされた。このエントリーはヨーロッパ各国からのオンライン投票によって、ベスト14のうちの1曲に選ばれた。 == 国内選考 == 1977年から1999年まで、スペインからのエントリーはテレビシオン・エスパニョーラ(TVE)の内部選考によって選ばれていた。それ以前は、1971年の「Pasaporte a Dublín」(ダブリンへのパスポート)などの国内大会と内部選考が交互に行われた。2000年と2001年、TVEは「Eurocanción」(ユーロソング)と呼ばれる国内大会を開催し、スペイン代表はこれを通じてが選出された。2002年から2004年まで、リアリティ番組でスペイン版のスター・アカデミーである「Operación Triunfo」が国内選考の役目を果たしたが、その後TVEは同番組の新シーズンの開催・放映はしないことを決定した。2005年、国内大会の「Eurovisión 2005: Elige nuestra canción」が開催され、レコード・レーベルからTVEにエントリーされた楽曲から視聴者投票によって選び出した。しかし、この方法で選出された2005年のユーロビジョン本選での結果は不調であったため、2006年には1999年以降で初めて、内部選考によって代表者が決定されたが、やはり結果はふるわなかった。2007年、スペインの参加曲は「Misión Eurovisión 2007」によって選出されたものの、やはり本選では不調であった。 2008年、TVEは国内大会「Salvemos Eurovisión」を通じて代表者を選出することを決定した。ソーシャル・ネットワーキング・サービスのMySpaceもこの過程に加わっており、設置されたウェブ・サイトを通じて誰もが曲をアップロードできる仕組みになっていた。寄せられた楽曲のうち、オンライン投票あるいは審査員によって選ばれたものは、テレビ放送される国内大会の決勝戦に加えられる。ユーロビジョン本選では若干、結果は向上したが大きなものではなかった。2009年は国内大会「Eurovisión 2009: El retorno」によって大会参加曲が選ばれ、再びMySpaceもこの過程に加わった〔http://www.vertele.com/noticias/detail.php?id=21032〕 〔http://www.esctoday.com/news/read/12563〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「スペインのユーロビジョン・ソング・コンテスト」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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