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===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
スペル・シーサー(1970年 - )は、日本の男子プロレスラー。本名、生年月日共に非公開。DRAGON GATE所属。自称・沖縄県那覇市出身。覆面レスラーであり、現在活動しているのは2代目で、ギミック上は初代スペル・シーサーことSAITOの弟子とされているが、その正体がSAITO自身であることは公然の事実とされている(公式上は別人)。 == 経歴 == 2001年12月に闘龍門JAPANマットに登場。以降はユニット抗争とは距離を置いて活動していたが、2005年にマグナムTOKYOプロデュースによるユニットPos.HEARTSに編入される。 2001年に引退し、インストラクターを務めるSAITO(斉藤義之)の弟子とされているが、SAITO本人ではないかという疑惑が今も絶えない。なお、SAITOは闘龍門入団以前にメキシコマットでスペル・シーサーを名乗り活動していたこともある。疑惑を晴らすためか、一度SAITO対シーサーという試合が組まれ、シーサーが勝利している。ただし、この時のシーサーは別人ではないかという疑惑も存在する。 2005年5月には、プロレスリング・ノア所属のタイガー・エンペラーと越境タッグを組み、ディファカップに出場した。その後、メキシコ修行時代の師匠であるキング・シーサーが参戦すると、Pos.HEARTSに在籍したままシーサーBOYと共にシーサーズを結成する。しかしキング・シーサーが正体を明かし、ペンタゴン・ブラックとなってからシーサーズは消滅することになった。 2007年には博多ライトヘビー級獲得やふく面ワールドリーグ参戦など、他団体での活躍もあった。 2010年はDRAGON GATEと大阪プロレスの団体抗争においてGammaがうっかり「CIMA」と「シーサー」を聞き違えたために抗争に参入する運びとなり、その存在感を遺憾なく発揮。しかし大阪ハリケーンにて珍しくタイガースマスクに対し覆面剥ぎを行い反則負け。報復行為としてタイガースマスクが上屋劇場大会にてマスクを剥がされた。同年にはK-ness.を破りオープン・ザ・ブレイブゲート王座戴冠を果たしたが、上記の一連の大阪プロレスとの抗争によりベルトが流出した(その後吉野正人が取り返した)〔DRAGON GATE database オープン・ザ・ブレイブゲート 〕。 2012年、ヒール以外と組む「便利屋」として試合を行うと同時に「ウィンドウズ」(窓際族ユニット)に加入。6人タッグながらCIMAからヨシタニックで勝利を上げた。2013年7月にウインドウズは発展的解散で「帰ってきたベテラン軍」と合体し「オレたちベテラン軍」となった。12月札幌大会では特別ルール「5エスケープマッチ」でCIMAとシングルマッチを行い、「16年目」にしてCIMAにシングルマッチで勝利、翌日にはK-ness.にも勝利した〔FANTASTIC GATE 2013.12.07 北海道・札幌テイセンホール 〕。 勢いに乗って2014年1月には堀口元気H.A.Gee.Mee!!の保持するオープン・ザ・ブレイブゲート王座に挑戦、2度目の戴冠を狙ったが敗北した〔。しかしその後もトライアングルゲート戦線に絡むなど活躍の機会を増やしている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「スペル・シーサー」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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