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スペンサー・ヘイウッド(Spencer Haywood, 1949年4月22日 - )はアフリカ系アメリカ人の元バスケットボール選手、及びオリンピック金メダリスト。ミシシッピ州シルバーシティ出身、デトロイト大学中退。身長208cm、体重102kg。 1970年代を代表するパワーフォワード。大学在学中にメキシコシティオリンピックでアメリカ代表として金メダルを獲得した後、1969年にはプロリーグABAのデンバー・ロケッツに入団し、ルーキーにしてABAの主要個人タイトルを総なめにした。NBAに移籍した後も各チームで活躍し、1983年に現役から引退。背番号『24』はシアトル・スーパーソニックスの永久欠番となっている。初めてABAからNBAに移籍した選手であり、またNBAドラフトにアーリーエントリー制の導入を促した選手としても知られる。2015年に殿堂入りを果たした。 == 生い立ちと学生時代 == スペンサー・ヘイウッドはスティービー・ワンダーの歌、「Living For The City」の舞台にもなったミシシッピ州の貧困の街で、10人兄弟の中に生まれた。ヘイウッドの一家は貧しさから逃れるために都会を目指し、シカゴに移り、さらにデトロイトに転居した。パーシング高校でチームを州チャンピオンに導き、バスケットボール選手として頭角を現したヘイウッドは、コロラド州のトリニダード州立短期大学で1年間過ごし、1967-68シーズンには28.2得点22.1リバウンドをあげ、全米から注目を集める選手となった。1968年の夏にはメキシコシティオリンピックのアメリカ代表に招集され、大会では平均16.1得点をあげてチームの主要得点源として活躍し、見事にアメリカ代表を金メダルに導くと共に、FG成功率71.9%というアメリカ代表記録を作った。オリンピック後にヘイウッドはデトロイト大学に転校。1968-69シーズンは32.1得点21.5リバウンドをあげ、NCAAのリバウンド王に輝いた。素晴らしいカレッジ選手となったヘイウッドは、もはや大学でやるべきことは無くなったとし、大学の残り2年間を残してプロの世界に入ることを決意した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「スペンサー・ヘイウッド」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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