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スペンサー伯爵 (スペンサーはくしゃく、)は、イギリスの伯爵位。グレートブリテン貴族。 1765年にジョン・スペンサーがオールトラップ子爵 (Viscount Althorp) 位とともに授爵されたのにはじまる。伯爵家の法定推定相続人は、儀礼称号として従属爵位の一つオールトラップ子爵を名乗る。2015年現在のスペンサー伯爵は第9代スペンサー伯爵チャールズ・スペンサーである。 == 歴史 == ホイッグ党所属の庶民院議員ジョン・スペンサー(第3代サンダーランド伯チャールズ・スペンサーの三男の息子)は1761年4月3日にグレートブリテン貴族爵位「オールトラップのスペンサー子爵(Viscount Spencer of Althorp)」及び「オールトラップのスペンサー男爵(Baron Spencer of Althorp)」に叙せられ、ついで1765年11月1日にはグレートブリテン貴族「スペンサー伯爵(Earl Spencer)」及び「オールトラップ子爵(Viscount Althorp)」に叙せられた〔。 初代伯爵は政界において庶民院・貴族院議員以上の存在にはならなかったが、その長男である2代伯爵ジョージは王璽尚書や、内務大臣などの閣僚職を歴任した。党派は父同様ホイッグ党であったが、トーリー党政権の小ピット内閣にも海相として入閣しており、ネルソン提督を抜擢したのは彼であった〔海保(1999) p.21-22〕。 その長男である3代伯爵ジョンは、襲爵前に庶民院ホイッグ党の幹部として活躍し、1830年から1834年のホイッグ党政権下で庶民院院内総務や大蔵大臣を務め、第一次選挙法改正の実現に貢献した〔海保(1999) p.22〕。 3代伯爵の弟である4代伯爵フレデリックは主に海軍軍人として活躍した。 4代伯爵の長男である5代伯爵ジョンは自由党の政治家としてアイルランド総督や枢密院議長や海軍大臣などの閣僚職を歴任した。第3次グラッドストン内閣においてアイルランド自治法案を支持した数少ないホイッグ貴族の一人であった〔海保(1999) p.22〕。 政界の中枢として活躍した当主は5代伯爵が最後であり、20世紀以降の当主は廷臣や軍人になったり、地主業に専念する例が増えていく〔。5代伯爵の弟である6代伯爵チャールズはやを務めた。彼はスペンサー伯爵位を襲爵する前の1905年12月19日に連合王国貴族爵位「ノーサンプトンシャーのグレート・ブリントンのオールトラップ子爵(Viscount Althorp, of Great Brington in the County of Northampton)」に叙されており、以降この爵位もスペンサー伯爵位の従属爵位に加わった。 その長男である7代伯爵アルバートは43年にわたって国防義勇軍の軍人として活躍した。彼は自分の屋敷への思い入れが強く、邸宅に飾られている全ての絵画や家具の由来を説明できたので「館長伯爵」と呼ばれていたという〔モートン(1992) p.41〕。 その長男である8代伯爵エドワードも若い頃、陸軍軍人だった〔海保(1999) p.23〕。また王室に侍従として仕えた。彼の三女であるダイアナはチャールズ皇太子に嫁いだことで知られる。 2014年現在の当主は8代伯爵の次男(長男は早世)でダイアナ妃の弟にあたる第9代スペンサー伯爵チャールズ・スペンサーである。 伯爵家の本宅は、ノーサンプトンシャーの(ノーサンプトンの北西8キロ)にあるオルソープ・ハウスである。同屋敷は1508年に建築されたが、摂政皇太子ジョージの時代に建築家ヘンリー・ホランドによる改築で現在の姿となった。伯爵家はその屋敷を中心にノーサンプトンシャーに1万3000エーカーもの土地を所有する大地主である〔キャンベル(1998) p.14〕。ノーフォークのノース・クリーク村も伯爵家が所有する。 8代伯爵の代からオルソープの屋敷の維持費の捻出に苦しむようになり、屋敷内に飾られていた様々な美術品の売却を行うようになった。こうした傾向は現在の9代伯爵の代も続いている〔キャンベル(1998) p.50〕。 伯爵家のロンドンの邸宅も維持困難になったため、1985年から96年契約で第4代ロスチャイルド男爵ジェイコブ・ロスチャイルドの経営するに賃貸している。ロスチャイルド卿は2000万ポンドもの巨費を投じてその内装を18世紀の状態に復元した〔横山(1995) p.23〕。この修復作業はダイアナ妃からも高く評価された〔モートン(1992) p.291〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「スペンサー伯爵」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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