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スポーツ平和党(スポーツへいわとう)は、かつて存在した日本の政党。略称、スポ平(スポへい)〔1998年(平成10年)7月1日参議院比例代表選出議員選挙選挙長告示第1号「平成十年七月十二日執行の参議院比例代表選出議員選挙において、政党その他の政治団体から参議院名簿の届出があった件」〕、スポーツ〔1995年(平成7年)1月27日中央選挙管理会告示第1号「衆議院比例代表選出議員の選挙における政党その他の政治団体の名称、略称等について届出があった件」〕。 スポーツの精神を政治に取り込み、全国民が健康体を維持することで平和を実現しようとしていた政党である。 == 歴史 == === 政党として === 1989年、プロレスラーのアントニオ猪木を中心に結成。1989年参院選において、猪木が比例区で参議院議員に当選〔1989年(平成元年)7月29日中央選挙管理会告示第14号「平成元年七月二十三日執行の参議院比例代表選出議員選挙における名簿届出政党等に係る得票数、当選人の数並びに当選人の住所及び氏名に関する件」〕。ちなみに、当時の比例区は厳正拘束名簿式で、政党名票しか認められておらず、猪木の個人名を書いた無効票が大量に出た。参議院では民社党と統一会派を組む(「民社党・スポーツ・国民連合」)。 1992年参院選では、1970年代に南海ホークスや阪神タイガースの先発投手として活躍した江本孟紀が比例区名簿第1位で出馬し〔1992年(平成4年)7月14日中央選挙管理会告示第1号「平成四年七月二十六日執行の参議院比例代表選出議員の選挙において、政党その他の政治団体から名簿の届出があった件」〕参議院議員に当選〔1992年(平成4年)8月3日中央選挙管理会告示第11号「平成四年七月二十六日執行の参議院比例代表選出議員の選挙における名簿届出政党等に係る得票数、当選人の数並びに当選人の住所及び氏名に関する件」〕。1995年、護憲新党あかつき代表で元日本社会党の上田哲を共同代表に迎え、「あかつき」を吸収合併し、1995年参院選に候補者を擁立(新日本プロレスのリングドクターの林督元も名簿順3位で立候補)するも〔1995年(平成7年)7月12日参議院比例代表選出議員選挙選挙長告示第1号「平成七年七月二十三日執行の参議院比例代表選出議員の選挙において、政党その他の政治団体から参議院名簿の届出があった件」〕、全員落選、猪木のかつての付き人の高田延彦が副党首たるさわやか新党参戦〔で票割れした事も大きかった。猪木の落選を受け、江本が自由連合に移籍〔「猪木との金銭問題でもめて離党した」という説が長らく信じられていたが、SPA!2012年12月4日号 115ページで江本孟紀が明確に否定している。現在でも猪木とは「一定の交流がある」とのこと。「江本以外の全員が落選したため、猪木から無所属での議員活動をすすめられた」とのこと。無所属ののち自由連合に移籍〕。 1998年参院選では女子プロレスラーの堀田祐美子〔、韓国・中国からの帰化人などを擁立するが全員落選。また、この選挙では独自擁立だけでなく推薦も積極的に実施していたが、定数3の選挙区で4名の候補に推薦を出す失態も起こす(他党では自民も宮城で候補者調整に失敗し定数2に公認1、推薦2を立てた)。沖縄県選挙区では現職で沖縄社会大衆党委員長の島袋宗康を推薦し当選。同年の沖縄県知事選では、保守系の稲嶺恵一を推薦し、当選した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「スポーツ平和党」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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