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本頁は、9世紀から13世紀にかけての、現ロシアのヴォルガ川 - オカ川間の地域へのスラヴ民族の移動の過程、また同地での殖民政策の過程をまとめたものである。同地には、スラヴ民族の移動以前はフィン・ウゴル民族の居住地が存在していた。一方、スラヴ民族の入植は9世紀に始まり、数世紀間にわたって続けられた。スラヴ民族がキエフを中心とする政権(キエフ大公国)を建国したキエフ・ルーシ期には、同地にはウラジーミル大公国等の諸公国が登場し、多くの都市の建設が行われた。 (留意事項):以下、「ルーシ(=キエフ・ルーシ、キエフ大公国)」領域内での立地に基づき、本頁が対象とするヴォルガ川 - オカ川間(公国でいえば主としてウラジーミル大公国領)を、便宜上「北東ルーシ」として記述する。また、ノヴゴロド公国領を「北西ルーシ」、キエフ公国などおおよそ現ウクライナに立地した諸公国領を「南東ルーシ」として記述する。 ==自然条件と先住民族== 北東ルーシの中核をなすロストフ・スーズダリ地方は、自然環境的地域区分としてはオポリエ(ru)地域に分類される。オポリエは、農耕用に適した広大で肥沃な黒土地帯であることに基づく区分であり〔Макаров, Н.А. Археологическое изучение Северо-Восточной Руси: колонизация и культурные традиции // Вестник РАН. № 12. 2009.〕、ウラジミルスキエ・チェルノジョームィ(ウラジーミルの黒土地帯)という名でも知られる〔Ярошенко П. Д., Юрова Э. А. Об остепненных лугах Владимирского Ополья // Бюлл. МОИП. Отд. биол. 1970. Т. 75, вып. 4. С. 80—87.〕。オポリエへのスラヴ民族の入植は、森林面積が縮小し、気温の安定化によって豊富な収穫を可能にした、中世の気候最適期に相当している。 スラヴ民族が移住する以前の北東ルーシには、メリャ族、ムーロマ族、メシチェラ族(ru)、ヴェシ族、チュヂ・ザヴォロチスカヤ(ザヴォロチエのチュヂ)族(ru)などのフィン・ウゴル系の諸部族が定住していた。ロシアの多くの研究者が、スラヴ民族が移住した地における、フィン・ウゴル民族の人口密度の希薄さについて言及しており〔Дубов И. В. Спорные вопросы этнической истории северо-восточной Руси IX—XIII веков // Вопросы истории. 1990. № 5.〕、その人口密度の希薄さの理由としては、狩猟、採集、漁労、牧畜を主体とし、農業はわずかに行われていたのみであったことを挙げている。また、フィン・ウゴル系先住民の居住地は湖畔や河岸に集中しており、それらの水域から遠く離れた地域は人口希薄地帯になっていた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「スラヴ民族の北東ルーシへの移動」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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