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===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
スリープレスナイト(、2004年2月7日 - 2012年2月2日)は、日本の競走馬である。馬名の意味は、ペリー提督がいわゆる「黒船(クロフネ)」で来航したときの世相を風刺した狂歌「泰平のねむりをさます 上喜撰 たった四はいで、夜も眠れず」に由来していて、「眠れない夜」という意味である。おもな勝ち鞍は、2008年のCBC賞、北九州記念、スプリンターズステークス。サッカー・ガンバ大阪の遠藤保仁が一口馬主として出資していた〔“馬主”ガンバ遠藤が武豊を口撃!? 〕。 == 経歴 == 2004年2月7日に誕生。栗東トレーニングセンター所属の 橋口弘次郎厩舎に入厩。 デビュー戦はギリギリで桜花賞に間に合うことも考慮され2007年1月7日、第1回京都競馬2日目第6競走の新馬戦が選択される〔『優駿』(日本中央競馬会)2008年11月号 〕も結果は2着。その後1戦をはさみクロフネ産駒ということでダート戦に出走し〔初勝利を挙げた。 初勝利となったデビュー3戦目からダート短距離戦を中心にレースに出走実績を積み重ねた。 その後、京葉ステークスで騎乗した横山典弘が芝での可能性〔函館スプリントステークスへの出走を提案し、騎乗したい旨を調教師に伝えている。〕を調教師に告げたことから、栗東ステークス後はプロキオンステークスへの出走を予定していたが、デビュー2戦目以来の芝でのレースとなったCBC賞に出走〔。最後の直線走路で馬群を掻き分けるように抜け出し、優勝を飾った。 次走の北九州記念では、1番人気に支持され、それに応えて直線で抜け出し、2着のマルカフェニックスに2馬身差を付けて勝利。 10月5日、第42回スプリンターズステークスに出走、好スタートから好位追走し、先行するウエスタンビーナスを直線で外から捉えて先頭に立つと、そのまま伸び、追いすがるキンシャサノキセキを抑えて5連勝で初のGI競走勝利を飾った。鞍上の上村洋行は騎手生活17年目にして悲願のGI初勝利となった。その後は香港スプリントに出走する予定だったが、トレーニングセンター内で放馬した際に外傷を負ったため断念〔スポーツニッポン 2008年10月24日 「スリープレスナイトがけが 香港遠征を中止」 〕 。さらにドバイゴールデンシャヒーンを目指すプランもあったが、今度は放牧先で蕁麻疹を発症したために断念した〔スポーツニッポン 2009年1月21日 「スリープレスナイトじんましんの回復遅れる」 〕。 2009年はその蕁麻疹の影響による調整遅れもあって3月29日の第39回高松宮記念に直行したが、1番人気で出走。先行して粘るローレルゲレイロを捉えきれず、2着に敗れた。その後、休養を挟んで9月13日の第23回セントウルステークスに出走。好位追走から直線で追い上げてくるも早めに先頭に立ったアルティマトゥーレを捕らえることができず2着に敗れた。 前年に続きスプリンターズステークス連覇を狙っていた矢先の9月26日、右前屈腱炎を発症し陣営は同馬を引退させるとコメントした。そして、2009年10月1日付でJRA競走馬登録を抹消、生まれ故郷のノーザンファームで繁殖牝馬となった。 2011年1月27日に第1仔を出産。2012年1月23日に第2仔を出産した後、2月2日に右橈骨を骨折したことにより死亡〔スリープレスナイト死亡「23日に出産したばかりだったのに」 スポーツニッポン 2月2日閲覧〕。8歳歿。第1仔は「ブロンシェダーム」(フランス語で「眠れない淑女」)と名付けられ、2014年2月8日に小倉芝1200mで新馬勝ちを収めた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「スリープレスナイト」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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