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スロイスの海戦(スロイスのかいせん)は、1340年6月24日に行われた、百年戦争における主要な海戦の1つ。ゼーラント(現オランダ)のスロイス(フランス語名エクリューズ)の港においてイングランド海軍がフランス海軍を壊滅させて、以降ドーバー海峡の制海権を握った。 百年戦争における、三つの重要な海戦の一つといわれる。他の二つはレ・ゼスパニョール・シュール・メールの戦い、1370年のラ・ロシェルの戦いである〔グラント・オーデン、ポーリン・ベインズ 『西洋騎士道事典』 堀越孝一監訳、原書房、1991年、312-313頁。〕。 ==背景== 1337年にフランスに宣戦して以降、イングランド王エドワード3世は神聖ローマ皇帝ルートヴィヒ4世と結び、舅であるエノー伯等の低地(ネーデルラント)諸侯の軍を雇って北フランスに侵入したが、フランス王フィリップ6世は戦いを避け、低地諸侯も戦意が低かったため特に成果を挙げることができないままだった。1340年には資金も枯渇したため、戦略を変え、アルテベルデの指導の元で、フランドル伯を追放して自治政府を作っていたフランドル都市連合と同盟を結び、王妃のフィリッパをブルッヘに残して、新たな兵と資金を集めに、一旦イングランドに戻った。これは、エドワードが、現在のベルギーにあるブルッヘに、兵を駐屯させたも同然だった〔マーティン・J・ドアティー 『図説 中世ヨーロッパ 武器・防具・戦術百科』 日暮雅通監訳、 原書房、 2010年、208-212頁。〕 。 一方、フランスはノルマンディーとジェノヴァ傭兵からなる大海軍を集結させ、イングランド海岸や船舶をしばしば襲い、イングランド侵攻を狙っているとも噂されていた。エドワード3世は大臣を替え、議会を開いて資金を得、特別五港(シンクポーツ、cinque portsの英語式発音)等から可能な限りの船と兵を集めてフランドルに向かった。 この五港は、イングランド南東部の海港都市、ヘイスティングス、ロムニー、ハイス、ドーヴァー、サンドウィッチの各都市のことで、後にウィンチェルシー、ライも加えられた。海防に当たる任務を負う見返りとして、複数の特権が与えられていた〔ランダムハウス大英和辞典第二版 小学館〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「スロイスの海戦」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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