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スンナ( Sunnah)は字義通りには「踏み慣らされた道=慣行」。主にイスラームにおける預言者ムハンマドの言行・範例( :預言者のスンナ)を指す(その他の用法については後述)。スンナ派イスラームにおける術語としてのスンナは、ムハンマドがウンマを指導した23年間におこなった慣行や範例であって、ムハンマドの教友ら(サハーバ)の合意を経て、世代から世代へと伝承された宗教的慣行・範例を意味する。またその上でイスラーム法においてクルアーンに次ぐ第二の法源となっている。 スンナは具体的なテクストではなく行いや範例であるため、なにに基づいて、ある慣行をスンナとするかが議論となった。スンナ派では主に預言者の言行についての言い伝えであるハディースから読み取るものとされる。つまりハディースはスンナの容れ物と考えるのである。この議論を確立したのがシャーフィイーである。しかしながら、ハディースそのものがスンナであるかどうかについては見解が分かれる。 シャーフィイーが登場した10世紀ころには、ハディースはハディース集というかたちで文書にまとめられる。ハディースが文書として整備されない時代には、具体的な仕草でスンナが継承されていることも当然あるが、このようなスンナはムハンマド以降、誰から誰に伝えられたか検証不可能であるため、ハディース集に収められることはない。このようなスンナは、単にスンナとして伝えられている。このようなスンナは検証可能性における瑕疵のため、法学的見地から法源として用いることはできず、立場によってはスンナとしてすら扱われない。 シーア派における「スンナ」は、預言者ムハンマドおよび預言者を継いで人生あらゆる局面で人類を指導するとされている十二イマームの言行と、預言者やイマームの承認した行いを意味する。また、スンナは実に預言者イブラーヒームが創始した宗教的行為から構成されるものであって、ムハンマドはそれを復活しただけにすぎないとする意見も一部にある。 ほかに神学的には、「アッラーのスンナ」( )という用語を用いる。これは創造における慣行のことで、ある自然事象、社会事象を慣行(=神の定めた秩序体系)として読み解く。アッバース朝のカリフ・マアムーンのもとムゥタズィラ派などで盛んとなった議論であるが、恣意的政策を単に「神の慣行」で済ませることができるなど、これを政治的に危険な傾向もあり彼らの議論は「スンナ漁り」と非難されるようになった。 == スンナの法的位置づけ == スンナは、クルアーンにつぐ第二の法源である。 さまざまな文脈に基づいて変化するスンナとは何かという問題は、現代におけるさまざまな誤解や亀裂と同様に、ムスリムと非ムスリムのあいだに誤解や亀裂を生んだ。多くのムスリムにとって預言者の法的あるいは宗教的範例は義務的に従うべきものとされ、これを否定し、全てのスンナやハディースを拒絶するのは、神の導きや法源としてはクルアーンのみを用いるべきとするごくごく一部のムスリムだけである。またイスラームの枠組みのなかでの自由主義的改革を志向する人びとにあっては、儀礼的あるいは宗教的あり方としては預言者のスンナに従うべきとするが、イスラーム法的にスンナにどれだけ従うべきかは議論が分かれる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「スンナ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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