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スヴャトスラフ・クヌシェヴィツキー : ミニ英和和英辞書
スヴャトスラフ・クヌシェヴィツキー[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

ラフ : [らふ]
  1. (adj,n) rough 2. (adj,n) rough
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

スヴャトスラフ・クヌシェヴィツキー : ウィキペディア日本語版
スヴャトスラフ・クヌシェヴィツキー[ちょうおん]

スヴャトスラフ・ニコラーエヴィチ・クヌシェヴィツキー((、''Sviatoslav Nikolayevich Knushevitsky''、1908年1月6日ユリウス暦1907年12月24日サラトフ州ペトロフスク - 1963年2月19日 モスクワ)はソビエト連邦チェリストモスクワ音楽院教授。兄は作曲家で軽音楽指揮者として有名なヴィクトル・クヌシェヴィツキー。妻はソプラノ歌手のナタリヤ・シュピレル
== 概要 ==
1923年にモスクワ音楽院に入学、セミョン・コゾルポフにチェロを師事する。1929年、音楽院卒業と同時にボリショイ劇場管弦楽団の首席奏者となり1943年まで務める。この間、1933年の全ソ音楽コンクールで優勝し、ソリスト及び室内楽奏者としても活躍し始めた。1943年1940年または1941年とする資料もある。〕にはヴァイオリニストダヴィッド・オイストラフピアニストレフ・オボーリンと三重奏団「オイストラフ・トリオ」を結成、自身の死まで継続して活動を行った〔録音は1958年ロンドンで収録されたベートーヴェンの『三重協奏曲』、『大公トリオ』、シューベルトの『ピアノ三重奏曲第1番』などが有名(EMI録音)〕。
同時代に活躍したソ連の作曲家、ミャスコフスキーハチャトゥリアングリエールワシレンコからチェロ協奏曲を献呈されレパートリーの拡大に寄与している。また、1956年に復元されたチャイコフスキーの『ロココの主題による変奏曲原典版の初演も行っている。
1942年よりモスクワ音楽院で教え始め、1950年に教授に昇進、1954年から1959年の間はチェロ及びコントラバス部長を務めた。1950年にスターリン賞受賞、1955年ロシア連邦共和国功労芸術労働者称号を授与。
1963年、モスクワで没。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「スヴャトスラフ・クヌシェヴィツキー」の詳細全文を読む




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