|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana) ・ 社 : [やしろ] (n) shrine (usually Shinto) ・ 社員 : [しゃいん] 【名詞】 1. (1) company employee 2. (2) company stockholders (esp. in legal contexts) 3. members of a corporation ・ 員 : [いん] 1. (n,n-suf) member
スーダラ節(スーダラぶし)は日本の昭和期の代表的な流行歌である。ハナ肇とクレージーキャッツ、とりわけ植木等が爆発的な人気を得るきっかけを作った曲で、作詞は青島幸男、作曲は萩原哲晶による。レコードは1961年8月20日、東芝音楽工業(現在のユニバーサル ミュージック合同会社・Virgin Musicレーベル)から発売された。累計売上は80万枚〔。 == 概要 == それまでのレコード制作はレコード会社主導だったが、このレコードの原盤は渡辺プロダクションが制作し、東芝音楽工業は販売のみ担当した。芸能プロが初めてマスターテープを制作したレコードでもある。「今で言うインディーズである」(戸井十月)〔戸井十月『植木等伝 「わかっちゃいるけどやめられない!」』(小学館)ISBN 9784093797795〕 元々は『こりゃシャクだった』のB面を埋めるために作られた曲であったが、こちらのほうがヒットしてしまい、後にA面とB面が入れ替えられている〔東京新聞 2015年8月4日夕刊「戦前・戦中・戦後70年 歌で読むニッポン」(佐藤利明 連載)〕。シングル盤のジャケット写真には、当時病気療養中であった石橋エータロー以外の6人が写っている。このジャケットのデザインは1986年の「実年行進曲/新五万節」にも引用され、クレージーのメンバーがオリジナルと同じポーズをとっている。 作曲者の萩原はステージでの植木のキャラクターにあった曲作りのために、まず植木の口癖でもあった「スイスイスーダララッタ~」のフレーズをメロディーにして、植木の承諾を取りつつ、残りの部分を作った。しかし、非常に生真面目な性格の植木は青島が書いた歌詞を見て、歌うことを躊躇したそうだが、浄土真宗の僧侶である父の植木徹誠から「『わかっちゃいるけどやめられない』は人間の矛盾をついた真理で、親鸞の教えに通じる」「必ずヒットするぞ」と励まされた〔。 父の言う通り、発売されるや否や『スーダラ節』は大ヒットを記録した(小林信彦は「なぜか名古屋から火がついた」と述べている〔小林信彦 『新編 われわれはなぜ映画館にいるのか』(キネマ旬報社 2013年)より植木との対談〕)。しかし植木自身は「こんな歌がヒットするようでは悲しいなぁ」「冗談じゃない」「こんなのがヒットするってことは、俺が考えてる日本と本物の日本は違うものなのか」と思い悩んでいたと言う〔NHK教育テレビで2007年4月8日に放送された植木の追悼番組『スーダラ伝説・夢を食べ続けた男』(元々は植木の生前に製作されたBSハイビジョンの特別番組)での植木のインタビューより〕。 また、大ヒットを受け、1962年には大映(現・角川映画)で『スーダラ節 わかっちゃいるけどやめられねえ』が製作された。 1990年、この歌をメインとした、植木等およびクレージーキャッツのヒットメドレー『スーダラ伝説』(編曲:宮川泰)が植木の歌唱で発売され、オリコンチャート最高10位を記録するヒットとなる。植木は歌手としても23年ぶりに紅白歌合戦出場を果たし、第41回NHK紅白歌合戦歌手別視聴率で男女1位となる56.6%(ビデオリサーチ・関東地区調べ)を記録した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「スーダラ節」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|