|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
スーフェイ・ヤン(楊雪霏、, 1977年 北京 -)は中国出身のギター奏者。日本語表記では、EMIミュージック・ジャパンからCDが発売される以前はヤン・シュエフェイまたは、シュエフェイ・ヤンとも呼ばれていた。輸入盤の販売サイトなどでは、シュエフェイ・ヤンが使用されていることが多い。 北京の中央音楽学院にギター専攻者として、初めて入学し、世界的にも注目され、中国のギターの英才教育のお手本となった。ワン・ヤンメン(王雅夢)、チェン・シャンシャン(陳册册)、スー・メン(蘇萌)、リー・ジエ(李潔)といった超若手の中国女性ギタリストたちをリードする存在。 == 経歴 == 1977年 3月15日北京生まれ。 1984年7歳からギターを始める。この頃、中国では、ギター指導者の先駆であるチェン・ジーがすでにクラシックギターの学校を設立し、ラジオのギター講座番組が放送されていた。こうしたギターレッスンのブームのなかで、10歳からは、直接、チェン・ジーの指導を受けるようになる。 1987年、第1回中国国際ギター・フェスティバルで演奏をし、絶賛される。1988年、11歳で北京シニア・ギター・コンクールで第2位。 1989年、社団法人日本ギター連盟主催の第32回「東京国際ギターコンクール」に参加し、演奏を披露、特別賞を受賞。弦楽器製作者、河野賢の工房を訪ねた時、コンサート・ギターが寄与される。パリ・ギター・コンテストでは、福田進一が絶賛した。 1990年、大都市・北京でも、将来有望な少女ギタリストとして注目されるようになり、北京市長から表彰される。この年、北京の中央音楽学院附属中学に入学。在中国スペイン大使からコンサート・ギターの贈呈を受ける。 1991年2月、マカオの新春芸術祭でソロ演奏を披露。同年、14歳でマドリッドでデビュー・コンサートを行い、ホアキン・ロドリーゴも聴衆のひとりとなる。 1993年3月、台湾ツアー。 1994年末、ワン・ヤンメン(王雅夢)らとともに東京を含む6カ所で公演した。 1995年、ジョン・ウィリアムズが彼女の演奏を聴いた後、将来性を確信して、自分のスモールマン・ギターを寄贈。 ファーストアルバムを発表した1999年6月、中央音楽学院を卒業し、学士を取得。 2000年、中国人初の奨学生として、イギリスの王立音楽アカデミー大学院に留学。アカデミーのギター指導者であるマイケル・ルーイン、ティモシー・ウォーカーらに師事。 2002年には王立音楽アカデミー大学院で、リサイタル。ディプロマを取得し、高成績で修了。 クロイドン・ロンドン特別区にあるフェアフィールド・ホールでのリサイタルではドロシー・グリンステッド記念基金賞を受賞。 在学中から、中国をはじめ、香港、マカオ、スペイン、オーストラリア、台湾、日本、ポルトガルで、コンサート・ツアーを行っている。さらに、米国、イギリス、ドイツ、フランス、フィンランド、シンガポール等のギター・フェスティバルに出演。 「アランフェス協奏曲」で王立音楽アカデミーオーケストラと共演、「ある貴紳のための幻想曲」ではBBCコンサートオーケストラと共演し、BBCで特集が放送された。 2003年-2004年には、ドイツ、オランダ、ベルギーなどをめぐるナイト・オブ・プロムスツアーで全54公演を行う。2003年ベルギーのアントワープで演奏されたコンサートの模様は、YouTubeなどでも視聴することができる。 イタリアの作曲家カルロ・ドメニコーニが「イ・チン(スーフェイ・ヤンに捧ぐ)」を作曲。 2008年、香港人気シンガー・古巨基(レオ・クー)のアルバム「Guitar Fever」収録の「下次再見」の伴奏で、メインギタリストを務める。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「スーフェイ・ヤン」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|