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ズビグニェフ・ボニェク : ミニ英和和英辞書
ズビグニェフ・ボニェク
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


ズビグニェフ・ボニェク ( リダイレクト:ズビグニェフ・ボニエク ) : ウィキペディア日本語版
ズビグニェフ・ボニエク

ズビグニェフ・ボニエク(, 本名:ズビクニェフ・カジミェシュ・ボニエク、、1956年3月3日 - )は、ポーランドビドゴシチ出身の元同国代表サッカー選手、サッカー指導者。選手時代のポジションはFWMF
読みはズグニェフ・ニエク(太字は強勢で、やや長音にも聞こえる)。
== 経歴 ==
地元のサッカークラブ、ザヴィシャ・ビドゴシチでサッカーを学び、1975年にヴィジェフ・ウッチと契約して選手キャリアをスタートさせる。当初はDFとしてプレーしていたが、後にFWへ転身すると才能が開花。1976年にポーランド代表デビューを果たすと1978、1982、1986年と3度のワールドカップ出場に導き、1982年のワールドカップ・スペイン大会ではMVP投票で4位に入る活躍で、チームの3位入賞に貢献した。
1982年に海外移籍が認められイタリアのユヴェントスへ移籍すると直ぐにレギュラーの座を掴み、1983-1984シーズンのセリエA優勝、翌1984-1985シーズンのUEFAチャンピオンズカップ優勝に多大なる貢献を果たした。その活躍によりユヴェントス会長のジャンニ・アニェッリから「 Bello di notte(美しき夜) 」の愛称を与えられた。中盤のミシェル・プラティニとの連携プレーは異彩を放った。
その後1985年にASローマへ移籍し1987-88シーズンを最後に現役引退をした。
引退後は指導者の道へ進み、主にイタリアの地方クラブで指揮を執った後に、2002年7月からはポーランド代表監督に就任したが同年12月に退任している。現在はイタリアの放送局 Rai Due の Domenica Sportiva という番組で解説者を務めている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ズビグニェフ・ボニエク」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Zbigniew Boniek 」があります。




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