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ドゥーフ・ハルマ(Doeff-Halma Dictionary, 通布字典、道訳法児馬、ヅーフ・ハルマまたはズーフ・ハルマとも表記される)は、江戸時代後期に編纂された蘭和辞典。通称『長崎ハルマ』。『道富ハルマ』と呼称されたこともある。1833年完成。『ハルマ和解』(江戸ハルマ)と同じくフランソワ・ハルマ(François Halma)の『蘭仏辞書』をベースに作成されたもので、約50,000語〔の説を採用する。にある筑波大学の記述では”100,000語”が『蘭仏辞書』『ズーフ・ハルマ』『和蘭字彙』の何れを指すかはっきりしない。またでは約45,000の単語と約50,000の例文などとあり、また『風雲児たち』には約80,000とある。〕を収録。全58巻。 ==概要== 『ドゥーフ・ハルマ』は、祖国がフランスの支配下にあったため帰国が叶わず長崎の出島滞在が長期化していたオランダ商館長ヘンドリック・ドゥーフの著とされる。当初は私的に作成していたものだったが、通詞の語学力向上を目的とした幕府からの要請を受け 中山作三郎・吉雄権之助(介?)・山時十郎(西儀十郎?)・石橋助十郎ら長崎通詞11人の協力を得て1816年から本格的な編纂が開始された。翌年にドゥーフはオランダへ帰国したが、それまでにAからTまでの作業を終えていた。以後は通詞たちが引き継ぎ、1833年(天保4年)に完成した。 辞典の作成方法は『ハルマ和解』と同じく、『蘭仏辞書』(Nieuw Woordenboek der Nederduitsche en Freansche Taalen. Dictionnaire Nouveau Flamand & François, 第2版、1729年出版)のフランス語部分を無視し、アルファベット順に並んだオランダ語にひとつずつ日本語の対訳をつけることで効率良く辞書の体裁を整えた。ただし、『ドゥーフ・ハルマ』は文語よりも口語を重視して記載し、豊富な文例も収録されている。 『ドゥーフ・ハルマ』の複製は印刷手法を用いず写本のみで行われたため〔『ハルマ和解』はオランダ語部分のみ活版印刷が行われている。〕出版数は33部前後と少なく、総頁数が3,000を越えたこともあって貴重だった。また、この清書には島津重豪から寄贈された大奉書紙が用いられたともあり、大変高価だったと推測される。 『ドゥーフ・ハルマ』は長崎奉行を通じて幕府に献上され、また幾つかの藩に融通された。しかし、西洋に関する情報が流布することを嫌った幕府は、一般向けの出版をなかなか許可しなかった。奥医師にして蘭学者の桂川甫周(国興)〔桂川家7代目。『解体新書』翻訳に関わり『北槎聞略』を編纂した4代目桂川甫周とは別人。〕らは、西洋技術の導入において必要不可欠と強く幕府に働きかけ、1853年のペリー来航ショックも手伝い〔1854年になってやっと刊行が認められた。さらに1855年には『Nedreduitsch Taalkundig Woordenboek 1799-1811』(P Weiland著)など他の辞書を参照しつつ校訂・補強が加えられ、約50,000語を抽出した『和蘭字彙』(おらんだじい)が校訂刊行された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ドゥーフ・ハルマ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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