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セッラシアの戦い : ミニ英和和英辞書
セッラシアの戦い[せっらしあのたたかい]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [いくさ]
 【名詞】 1. war 2. battle 3. campaign 4. fight 
戦い : [たたかい]
 【名詞】 1. battle 2. fight 3. struggle 4. conflict 

セッラシアの戦い : ウィキペディア日本語版
セッラシアの戦い[せっらしあのたたかい]

セッラシアの戦い(英:Battle of Sellasia)はクレオメネス戦争において紀元前222年アンティゴノス3世率いるアンティゴノス朝(マケドニア)・アカイア同盟軍と、クレオメネス3世率いるスパルタ軍との間で戦われた会戦である。
== 背景 ==

スパルタ王クレオメネス3世は、往年のスパルタのペロポネソス半島での覇権を回復せんとして国内の改革を行い、それと同時並行でペロポネソス半島を支配しつつあったアカイア同盟に挑戦した(紀元前229年開戦)。当初クレオメネスは破竹の快進撃を続けてアカイア同盟の盟主の座さえ得そうになったが、アカイア同盟の指導者のアラトスはこの状況を打開するためにマケドニア王アンティゴノス3世をペロポネソスに呼び込んだ。大軍を率いてペロポネソスに入ったアンティゴノスの助力を受けてアカイア同盟は反撃を開始し、クレオメネスは抵抗を続けたものの、コリントスアルゴスなど次々に要地を失い、彼の支配領域はラコニアだけになってしまった。
紀元前222年夏、アンティゴノスはラコニアへの進撃を開始した。この時のアンティゴノスの軍の内訳はポリュビオスが詳しく記録している。まず、マケドニア軍は重装歩兵10000人と軽装歩兵3000人、騎兵300騎、アグリアネス人ガリア人が各1000人、傭兵歩兵3000人と騎兵300騎。アカイア軍は歩兵3000人と騎兵300騎、マケドニア式に武装したメガロポリス軍1000人、ボイオティア軍が歩兵2000人と騎兵200騎、エピロス軍が歩兵1000人と騎兵50騎、イリュリア人1600人。計歩兵28000人と騎兵1200騎〔ポリュビオス, II. 65〕。
一方迎え撃つクレオメネス軍はアンティゴノスの諸兵科混合軍とは対照的に重装歩兵からなる20000人であった(ただし騎兵もいるにはいたようである)〔プルタルコス, 「クレオメネス」, 27〕。クレオメネスは敵の侵攻ルートとなりそうな各道路に守備隊を配置してバリケードを設けさせ、自らは上述の20000人を率いてスパルタから北12キロの地点にあるセッラシアに布陣した。セッラシアの街道はエウアス(東側)とオリュンポス(西側)という二つの丘に挟まれており、彼はそれぞれの前面を壕と防柵で固め、エウアスにペリオイコイと同盟軍を弟で共同統治者の王エウクレイダス指揮の下に配置し、自らはスパルタ兵と傭兵部隊を率いてオリュンポスに陣取った。また、川沿いの平地には傭兵の一部と騎兵を置いた〔ポリュビオス, II. 65〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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