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セドリック・ピオリーン : ミニ英和和英辞書
セドリック・ピオリーン[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

セドリック・ピオリーン : ウィキペディア日本語版
セドリック・ピオリーン[ちょうおん]

セドリック・アドリアン・ピオリーンCédric Adrien Pioline, 1969年6月15日 - )は、フランスヌイイ=シュル=セーヌ出身の男子プロテニス選手。1993年全米オープン1997年ウィンブルドンで、4大大会に2度の準優勝がある。シングルス自己最高ランキングは5位。ATPツアーでシングルス5勝、ダブルス1勝を挙げた。身長187cm、体重79kg、右利き。フランス語の読みにより近い「ピオリーヌ」という表記も多く見られる。オールラウンド・プレーヤー。
==選手経歴 ==
ピオリーンは16歳という非常に遅い年齢からテニスを始めたが、極めて高い運動能力の持ち主だった。1989年に20歳でプロ入りし、1991年に世界ランキングトップ50位以内に入る。1993年ウィンブルドンで初のベスト8に入り、同年の全米オープンで第15シードから決勝進出を果たす。この大会で、ピオリーンは4回戦で第1シードのジム・クーリエを 7-5, 6-7, 6-4, 6-4 で破る波乱を演じたが、決勝でピート・サンプラスに 4-6, 4-6, 3-6 のストレートで完敗した。この年は男子ツアーで5度の決勝進出があり(いずれも準優勝止まり)、初めて世界ランキングトップ10入りを果たしている。1995年ウィンブルドンで2年ぶり2度目のベスト8に入ったが、準々決勝でボリス・ベッカーに 3-6, 1-6, 7-6, 7-6, 7-9 で惜敗した。2セット・ダウン(先に相手に2セットを取られた状態)から、第3・第4セットのタイブレークを連取して最終第5セットに持ち込んだが、フランス人挑戦者の執念は実らなかった。
1996年3月、ピオリーンはようやくデンマークコペンハーゲンの大会で待望のツアー初優勝を実現させた。翌1997年ウィンブルドンで4年ぶり2度目の4大大会決勝進出を果たした時、ピオリーンは準決勝で1991年の優勝者ミヒャエル・シュティヒを 6-7, 6-2, 6-1, 5-7, 6-4 のフルセットで破っている。シュティヒはこの大会を最後に現役を引退した。しかし決勝ではまたもやピート・サンプラスに 4-6, 2-6, 4-6 のストレートで敗れ、4大大会で2度目の準優勝に終わった。1998年は地元の全仏オープンで初のベスト4に進出したが、準決勝でスペインアレックス・コレチャに 3-6, 4-6, 2-6 で敗れた。ウィンブルドンでは1999年にもベスト8に進出し、1993年・1995年・1997年(準優勝)・1999年と2年おきに準々決勝へ名乗りを上げている。2000年にツアーで年間2勝を挙げた。
ピオリーンの現役生活を通じて、サンプラスには極端に苦手意識が強く、9度の対戦で1度も勝てなかった。2002年のシーズンを最後に現役を引退し、35歳以上の現役引退選手を対象とするシニア・ツアーに参戦した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「セドリック・ピオリーン」の詳細全文を読む




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