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セニェーラ : ミニ英和和英辞書
セニェーラ[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

セニェーラ ( リダイレクト:サニェーラ ) : ウィキペディア日本語版
サニェーラ[ちょうおん]

サニェーラあるいはセニェーラ( 標準語発音、西部方言発音;カタルーニャ語で「旗」「槍旗」)はスペインカタルーニャの旗である。この旗はアラゴン連合王国 の紋章を基にした旗章学的象徴であり、黄金地に4本の赤の縞で構成されている。この紋章はしばしばアラゴンの縞と呼ばれるか〔Presidencia del gobierno. "The coat of arms" .〕単に「4本縞」(''les quatre barres'')と呼ばれ、歴史的にはアラゴン王の紋章であった。
サニェーラはこんにちではスペインの4つの自治州(カタルーニャ州アラゴン州バレアレス諸島州バレンシア州)の旗であり、歴史的にカタルーニャ語圏であるサルデーニャアルゲーロ( ラルゲー)の旗である。この旗はまたスペインの国章とフランスのピレネー=オリアンタル県プロヴァンス=アルプ=コート・ダジュール地域圏の紋章とルシヨン地方プロヴァンスの旗にも使用されているほか、アンドラ公国の紋章にも使用されている。またこれらに所属する自治体の紋章にも使用されている。またサニェーラはカタルーニャ語圏では非公式な場所ではいっそう頻繁に使用される。
この旗は王の旗と同義であり(カタルーニャ語:Senyal ReialかSenyera、古スペイン語:Señal Real かSeñera)、この言葉はアラゴン連合王国の旗を指す。アラゴン語では実際にそのように使用されている(''O Siñal d'Aragón'', i.e. "アラゴンの旗印")。
==起源==
サニェーラは現在も使用される「ヨーロッパ最古の国旗」であるが、発祥から連綿と使われ続けたわけではない。純粋なカタルーニャあるいはアラゴンのシンボルの原点のいずれかを提唱する理論がいくつかある。
一方で、『カタルーニャ大百科事典(''Gran Enciclopèdia Catalana'' )』はこの旗の初出はの墓石であり、彼が死んだ1082年のすぐ後のバルセロナ伯ラモン・バランゲー4世の紋章(プロヴァンス語の文書(1150年) 及びカタルーニャ語の文書(1157年)による)だと主張している。
他方で『アラゴン大百科事典(''Gran Enciclopedia Aragonesa'')』は、初出の資料は誰もが認めるアラゴン王アリフォンソ2世(カタルーニャ語:アルフォンス2世、1159年)の紋章だと表明している。その際にカタルーニャ起源の証拠は否定されなければならないとし、歴史的にバルセロナ("barcelonès")の概念以外と結び付けられるものはない。カタルーニャではなく、バルセロナ伯かつアラゴン王である「バルセロナ家」を暗示すると理解されている。

さらに、バレンシア王国の「征服の槍旗」は現存する最古の旗として記録され、1238年以降とされているが、黄色の部分が白であり、赤の縞だけが同じである。
カタルーニャ州政府は公式なシンボルについて11世紀にか12世紀の紋章以前のシンボルとバルセロナ伯領の紋章に由来すると説明している。そこでは黄色と赤の縞は縦であり、旗に対して水平である。
Los símbolos nacionales Page of Governtment of Catalonia〕
王朝の紋章はまた伯爵によって統治される土地のものになった。したがって、現代ではアラゴン王国のだった地域とアンドラとシチリアの領域の旗となった。

他の説明ははアラゴン連合王国が使用し、史上悪名高いアラゴン王のローマ教皇への服従の証として自身の紋章にローマ教皇の旗の色と結びつけたというものである。バルセロナ伯は間もなくこの説明のあと続くものである。ローマ市の色は、ローマ教皇領だった当時は同じであったのである。
ブリタニカ百科事典によれば、12世紀から教皇庁の海軍旗は赤と黄色の縦帯で構成されており時に、三重冠と天国の鍵の紋章があしらわれた。バチカンのウェブによれば教皇庁の黄色と赤の旗は古代ローマ(「元老院並びにローマ市民諸君」)の伝統色であった。
〔 〕
この古代の旗はいまもフォロ・ロマーノに近くのカピトリーノの丘で見ることができる。教皇庁は1808年に、こんにちの黄色と白の旗に変更している。

同時に、ローマ市役所はこんにちこの昔の色を使用している。
アラゴン王国の年代記編纂者Geronimo de Blancasの1585年の仕事に基づいたこの理論を拒めない。彼は、ペドロ2世が戴冠した後に教皇インノケンティウス3世がアラゴン連合王国は使徒座に連枝たる王国であることを容認したことを記している。この表意を補うために、教皇はペドロ2世を教会のconfalonierにし、教会の旗はアラゴン連合王国の紋章の色にすることを容認した。
東ローマ帝国遠征の際にはカタルーニャ東方会社アルモガバルスはアラゴン王の紋章を王の槍旗と一緒に使用した。
〔 〕
1263年から1516年までアラゴン海軍のエンザインとして使用されていた。
簡易なバージョンはスペイン第二共和国時代のカタルーニャ自治地方の公式な旗として使用されているほかスペイン暫定民主政権以降使用されているほか、またかつてアラゴン王国の領域だったフランスの ピレネー=オリアンタル県県(''département'')の旗やアラゴンと歴史的なゆかりのあるプロヴァンスの旗に使用されている。
標準的な紋章記述では、この旗の模様は「オーアに4本のギュールズ(''Or, four bars Gules'')」と書かれる。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「サニェーラ」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Senyera 」があります。




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